Park KSBアプリに皆さんから寄せられた疑問をもとにお伝えする「みんなのハテナ」です。11月15日は「七五三」の日、ということで今回のテーマは「七五三」です。
毎年約1000組が七五三のお参りに訪れるという高松市の石清尾八幡宮。14日もお参りに来た親子の姿がありました。
(訪れた子どもは―)
「3歳。(着物着てみて)かわいい」
「5歳。楽しい」
(石清尾八幡宮 神主/香西邦彦さん)
「健やかに成長することをご祈願した。それが3、5、7と吉数ですね、縁起がいい数字、その時にお祈りをしようと、今まで生きられたことに感謝を申し上げて、同時にこれからの無病息災をご祈願する」
「七五三の起源は?」(岡山市 ケイ 58歳)
お参りに来ていたお父さん・お母さんに聞いてみました。
(保護者は―)
「明治くらいですかね?」
「平安時代とかですか、雰囲気というか祈祷の雰囲気とか音楽とか平安時代くらいかな」
神社の歴史や行事などを研究している国立歴史民俗博物館の新谷尚紀名誉教授の見解は……。
(国立歴史民俗博物館/新谷尚紀 名誉教授)
「平安時代の半ば、900年から1000年くらいのころで貴族の3歳の祝いが最初です。生まれて今みたいに育つ時代じゃなかった」
新谷さんによると、子どもが大きくなるのが当たり前ではなかった時代、貴族たちが3歳を祝うために行っていたのが「髪置き」と「袴着」という2つの儀式です。
いずれも子どもの今後の成長を願う行事ですが、時代とともに「袴着」を行う年齢が変わっていったそうです。
(国立歴史民俗博物館/新谷尚紀 名誉教授)
「その後、5歳のお祝いになっていくんです。平安時代の終わりから鎌倉時代には袴着という、5歳の行事になっていきます」
また、幼児から少年少女への切り替わりの象徴として「7歳を祝う行事」が江戸時代には庶民も含めて広く行われていたそうです。
(国立歴史民俗博物館/新谷尚紀 名誉教授)
「3歳の祝い、5歳の祝い、7歳の祝いはそれぞれ別々に行われて、セットと考えられるのは幕末から明治以降。明治以降は『七五三』と一緒にした」
新谷さんによると「七五三」という行事は都市部では明治時代、地方では高度経済成長期に広まっていったということです。
「千歳飴は何のために?」(岡山市 なっち 55歳)
お参りに来ていた保護者からも……。
(保護者は―)
「千歳飴の意味とか気になります」
「長いものだから長寿とかの意味ですかね」
この疑問について石清尾八幡宮の神主は……。
(石清尾八幡宮 神主/香西邦彦さん)
「長く幸せに生きれますようにということと、千年万年と長寿をまっとうできますようにというお祈りを込めてあめを渡しております」
さらに飴の色にも意味があるそうです。
(石清尾八幡宮 神主/香西邦彦さん)
「紅白ですね、昔から日本ではおめでたいことに用いられてきましたので」
赤と白色は高貴な色として昔から祝いごとに使われていたそうです。
ちなみに、一般的には11月15日が「七五三」とされていますが……。
(石清尾八幡宮 神主/香西邦彦さん)
「11月15日を越えても12月に入っても石清尾八幡宮では年間通して受け付けしていますので、ご家族が都合のよろしい時にいつでもお越しいただいたら結構です」