瀬戸内国際芸術祭の夏会期が8月1日から始まりました。国立ハンセン病療養所がある高松市の大島では、強制隔離の時代を生きた人たちの「絆」をテーマにした新作が展示されています。
高松港から船で約20分。国立ハンセン病療養所「大島青松園」がある高松市の大島には、入所者と一部の職員だけが暮らしています。
入所者は29人で、平均年齢は87.7歳。全員病気は治っていて、今は後遺症や高齢化に伴う介護・看護を受けています。
7月、アーティストの山川冬樹さんが作品制作のために大島に滞在しました。
作品を展示する場所は、1935年に建てられ、今も礼拝が行われている教会です。ハンセン病療養所にはキリスト教や仏教など、さまざまな宗教施設が設けられ、入所者の心のよりどころになっています。
山川さんは、室内に音響や照明の機材を設置していました。
(アーティスト/山川冬樹さん)
「音と光と映像でシアトリカル(演劇的)なインスタレーション」
タイトルは「結ばれて当たり前なる夫婦なりしよ」。愛媛県出身で20代の頃から「大島青松園」に入所していた政石道夫さん。道夫さんには将来を誓い合った渡辺美紗子さんという幼馴染がいました。
(アーティスト/山川冬樹さん)
「テーマは政石道夫さんと渡辺美紗子さんの心の絆。『らい予防法』がなければ、自分たちは結婚していただろうと。でも結局2人は結婚できなかったわけですが、その2人を作品の中で、見てくれた人たちの心の中でつなぐ」
ハンセン病は感染力が非常に弱い病気であるにもかかわらず、かつて国は「らい予防法」を定め、患者を全国の療養所に強制隔離しました。戦後には完治する病気になりましたが、入所者は社会とのつながりを絶たれ、いわれのない差別・偏見に苦しんだのです。
15歳でハンセン病を発症した道夫さんは、美紗子さんとの結婚を諦めざるをえませんでした。
(アーティスト/山川冬樹さん)
「別れの手紙を送ったにもかかわらず、美紗子さんは療養所に足しげく会いに来られた。それで縁がつながり続けた。(美紗子さんは)ある時期から耳が聞こえなくなって、体も弱くなって、療養所に来られなくなってからはFAXでのやりとりが続いた」
互いに独身を貫き、療養所の中と外で交流を続けていた2人。教会の片隅に山川さんが置いたFAXは、2人のつながりを物語るアートの一部です。床には赤いじゅうたんを敷きました。
(アーティスト/山川冬樹さん)
「教会で道夫さんと美紗子さんの結婚式を思わせるような作品をやろうとしていますが、道夫さん自身は無宗教だった。教会の入り口に『ここは静かに祈りをささげる場所です。誰でも自由に入っていただけます』。これははすごく大事なこと、誰も排除しないということなので。
無宗教だった道夫さんもここに入ることができるし枠を超える、境界線を超えることはハンセン病問題を考えるのに一番大事なこと」
道夫さんの大めいにあたる、三好真由美さんも山川さんの制作に協力しました。
(政石道夫さんの大めい/三好真由美さん)
「若い子が自分の恋バナを自慢する時みたいに『彼女が、彼女が』って言うので、いつも楽しみに聞いていました。『FAXがしつこくて』って愚痴を言いながらも楽しそう。本人たちはいないけれど、形にできるということはとても素敵なことだと思います。天国の2人も、他のご遺族の方もたぶんとても喜んでいると思う。皆さん2人が結ばれることを望んでいらしたから」
三好さんは、1通の手紙を山川さんに託しました。2009年、道夫さんが亡くなった時に美紗子さんが療養所の看護師長に送ったものです。
(美紗子さんの手紙)
「政石さんとは七十余年間、兄とも慕い、時には夫のような存在で尊敬しておりました。『私が先に逝って、道っちゃんは100歳まで元気でいてくださいよ』と話していました。『美紗が先に逝ったら俺も心の灯が消えるよ』と言って笑ってお話しましたのに! 最後まで離れ離れでの生活でしたけれども心はいつも結び合っていたと存じます」
夏会期が開幕すると、大島にも多くの観光客が訪れ、山川さんの作品を鑑賞しました。
(美紗子さんの手紙)
「青春の喜び、楽しみを知らない人でした。本当の幸せを知らず逝ってしまわれました。『俺のことは心配しないで自分をいたわれ』といつも励ましてくださっていました。私はおかげで幸せでした。この先はもう真っ暗になりました。諦めます」
教会の正面に向かって左側には美紗子さんの「手紙」が。右側には道夫さんの「陳述書」が展示されています。
国の強制隔離政策は憲法違反だとして、療養所の入所者が損害賠償を求めた裁判。道夫さんも原告の1人として参加し、2001年に勝訴しました。
(陳述書の中身)
「青松園に入った後、そっと別れを告げる手紙を送りました。ところが思いがけないことに彼女は療養所まで私を訪ねにきてくれたのです。彼女との長い交際の間、一緒になろうと思ったことも何度かはありました。らい予防法がなければ私たちの関係はもっと別な形を取りえたのではないかと思います」
クライマックスでは道夫さんと美紗子さんの結婚式を表現しています。
(三好真由美さんの祝辞)
「どうか今、私たちに祝福させてください。おめでとうを言わせてください。もう誰も何も2人を分かつことはありません」
お祝いの言葉を朗読したのは道夫さんの大めいの三好真由美さんです。
歌人・政石蒙として数多くの短歌を遺した道夫さん。山川さんは作品のタイトルにその「短歌の一部」を選びました。
「ハンセン病を わが病まざれば 結ばれて当たり前なる 夫婦なりしよ」
(来場者は―)
「想像することもできないような苦労の末に生きてこられて、2人がお互いを思うことをやめていない。そのことにものすごく心を打たれました」
「苦しんでこられたんでしょうけど、その中でも2人にとっての楽しみや幸せがあったのかな」
「結婚式の演出がジーンときました。素敵だと思いました。どんな状況でも(お互いを思う)気持ちが持てるんだと思って」
(アーティスト/山川冬樹さん)
「政石さんは孤高の人でしたけどその政石さんでも美紗子さんが心の支えになっていた。人間誰かを必要とする、1人では生きられない。2人の絆を振り返ると痛感します。そのことを皆さんとも共有したい」
この作品は2025年の秋会期まで展示される予定です。