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【特集】ハンセン病療養所入所者の「解剖記録」から見えてくるものは 研究グループが検証開始 岡山

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 1940年、国が進めたハンセン病の強制隔離政策によって家族と引き離され、岡山県瀬戸内市の療養所で自ら命を絶った、一人の女性。その記録が遺族に開示され、今まで知りえなかった事実を明らかにする取り組みが始まっています。

 愛媛県西南部に位置する松野町。今は何もないこの場所で、一人の女性が夫と7人の子ども、孫に恵まれて暮らしていました。

 しかし、その女性はある日、自宅から連れ出され、生きて帰ってくることはありませんでした。

(長島愛生園入所者の遺族/三好真由美さん)
「こんな最期になるとは思ってなかったからね」

 女性の名前は政石コメさん。

(長島愛生園入所者の遺族/三好真由美さん)
「(遺骨は)愛生園で火葬されて、郵便局に荷物として送られてきました」

 最期を迎えたのは、松野町から遠く離れた瀬戸内市のハンセン病療養所「長島愛生園」。入所から半年後の1941年1月に62歳で亡くなりました。海に身を投げ、自殺したのです。

(長島愛生園入所者の遺族/三好真由美さん)
「やっぱり本人も、ひっそりでもいいから、岡山じゃなくておうちで息を引き取りたかったと思うんですけどね」

 ハンセン病は感染力が非常に弱く、戦後には完治する病気になりました。しかし、国の徹底した強制隔離政策によって、「恐ろしい病気」だという誤った認識が広まり、患者やその家族は、いわれのない差別・偏見に苦しみました。

 ひ孫にあたる三好真由美さんは、ハンセン病を患い、長島愛生園に強制隔離された曾祖母について知りたいと、十数年前から記録の開示を求めていました。

 2023年になって手元に届いた記録は全部で27枚。

(長島愛生園入所者の遺族/三好真由美さん)
「政石コメの写真です。ここに入った時の……裸でね、裸にされて、両腕で隠してね。悔しかっただろうと思いますね。こんな写真を撮られて」

 死体検案書には、コメさんが亡くなった当時の様子が記されていました。

(長島愛生園入所者の遺族/三好真由美さん)
「右足が切断されていますね。義足を使用していたみたいです」
「聞いたことなかったです。(コメさんが亡くなった時の状況は)これを読んで初めて知りました」

 そして……。

(長島愛生園入所者の遺族/三好真由美さん)
「(外国語で)読めないんですけど、思うに解剖記録じゃないかなと」

 コメさんが解剖されていたという事実。

 2021年、長島愛生園では、1931年から1956年の間に亡くなった入所者の約8割、1834人分の解剖記録が見つかりました。

(長島愛生園入所者の遺族/三好真由美さん)
「ここに、剖検願というのがあるんです。『死んだら研究のために私の体を提供しますよ』と願っているんですけど、亡くなったのが1月17日で、剖検願いを出したのが1月10日。本当にこれが不自然です」

 ハンセン病療養所での病理解剖を巡っては、強制隔離政策の下で適切な同意を得て行われていたのかなど、さまざまな問題点も指摘されています。

(長島愛生園入所者の遺族/三好真由美さん)
「全然他人の話だと思っていたから、解剖のことは。肉親がこんなことされていたって、今ごろになって分かるとは思わなかったから。何のためにここまでしたのか知りたいです」

 外国語で書かれた解剖記録には何が記されているのか……。私たちは三好さんの了承を得て、獨協医科大学の木村真三准教授に解読を依頼しました。

(獨協医科大学/木村真三 准教授)
「分かる範囲ではありますが、きちんとお伝えしていくことが、故人の供養につながると思っています」

 木村さんは、三好さんと同じく長島愛生園入所者の遺族で、大伯父にあたる仙太郎さんの解剖記録などの開示を受け、一般にも公開しています。

 長島愛生園に強制隔離され、コメさんと同じ年に亡くなった木村仙太郎さん。死因は肺結核でした。

 解剖を承諾する剖検願は7日前に書かれていますが、ハンセン病の後遺症で手が不自由だった仙太郎さんの直筆ではないと考えられています。

 木村さんらによるコメさんの解剖記録の解読が始まりました。

(コメさんの解剖記録の解読の様子)
「たぶん右の……切断」
「膝から下」
「(足を指して)この真ん中かどこかで(右足を)取っているんじゃないか」
「日本語で筋肉の委縮」
「頸(けい)部のリンパ節ですね」
「らい病変(ハンセン病による変化)」

 筋肉の萎縮や神経の腫れなど、ハンセン病のさまざまな症状が出ていたことや、足のどの部分を切断していたのかなどが分かってきました。解読は今後も続けられます。

(獨協医科大学/木村真三 准教授)
「ざっと見て、先生はどう感じますか」
(獨協医科大学/アーデ 特任教授)
「非常に学術的に丁寧にやっているんです。特にハンセン病の症状を見て解剖していたと感じる」

 木村さんは研究グループを立ち上げ、長島愛生園に残る他の解剖記録についても医学的な検証を始めました。

『なぜ多くの患者が解剖されていたのか』

 ハンセン病の治療の変遷や、歴史的背景を踏まえ、その実態を明らかにしたいと考えています。

(獨協医科大学/木村真三 准教授)
「(解剖記録は)非常に細かく調べられているので、お亡くなりになった状況が見えてくるし、お亡くなりになる直前の病状というもの、非常に克明に書かれている。ただ、同意書の問題とか、そういったものは、医学的倫理では、当然やってはいけないことである。それがなぜ起こったのかということまで解き明かさないと、こういった差別は繰り返されると思う」

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