ひょうひょうとしながらも観る人を魅了する。色気のある声で強烈な存在感を放つ“個性派”でした。俳優の火野正平さん(本名:二瓶康一)が14日、自宅で亡くなりました。75歳でした。
活動をスタートしたのは10代のころ、子役としてのデビューでした。芸名“火野正平”の名付け親は作家・池波正太郎さんだと知られています。そして1977年、代表作『新必殺仕置人』に出会いました。その後も時代劇や映画、2時間ドラマなど、幅広く活躍してきました。
一方、プライベートでは…。
火野正平さん(当時33歳) 「(Q.これ以上浮名を流したくない意思は)わかりません。失礼します。(Q.プレイボーイだと言われていることに関して)…」
有名女優らと流した数々の浮名。“元祖プレイボーイ”の異名もありました。
火野正平さん(当時31歳) 「(Q.今年の抱負は)今年は週刊誌に載らないようにしようと。仕事が減ってしょうがないんだから。(Q.もう遊びはあんまりやらない)遊びますよ。ほっといてください」
ただ、当時の様子から見えてきたのは、どんな時でもどんな場所でも記者の問いかけをすべて受け入れ、何も隠すことなく打ち明ける姿です。
火野正平さん(当時32歳) 「(Q.いま一番思っていることは)早くみんな帰んないかなって思っているよ」 「くたびれたなぁ」 火野正平さん(当時73歳) 「(Q.伝説的なプレイボーイで有名ですが、そちらの方で頑張るつもりは)あのな。いろいろ反省して、今や俺の体は分別・常識・理性になってんのよ。これ長生きの秘訣です」
誰からも愛される“天性の人たらし”。それが火野さんの魅力なのかもしれません。
火野さんは、今年も映画に出演するなど精力的に活動を続けていました。5月に行われたのは、来年2月に時代劇専門チャンネルで放送予定のドラマ『鬼平犯科帳 老盗の夢』の撮影です。
“名付け親”池波正太郎さん原作の『鬼平犯科帳』。これが“俳優・火野正平”最後の撮影となりました。
所属事務所 「4月より持病である腰痛の治療に励んでおりましたが、夏の腰部骨折を機に体調を崩し、最期まで仕事復帰を願っておりましたが叶いませんでした。自宅で家族に見守られ、穏やかな最期でした」
葬儀は家族葬で執り行われたということです。