Park KSBアプリに皆さんから寄せられた疑問をもとにお伝えする「みんなのハテナ」。今回は、「おせち」に関するハテナです。
「おせち料理はいつ頃からあるの?」(岡山市 テテヤ 56歳)
日本の食卓文化について発信している「一般社団法人 日本和食卓文化協会」の槻谷順子代表理事に話を聞いてみました。
(日本和食卓文化協会/槻谷順子 代表理事)
「今、お正月にいただく料理を『おせち料理』と呼んでいますけど、本来は五節句にいただく料理すべてをおせち料理と呼んでいました。五節句すべて、お隣の中国から日本に入ってきているので、遣唐使・遣隋使の時代に日本に入ってきたと言われている」
五節句とは5月5日の端午の節句や7月7日の七夕の節句など中国で縁起がいいとされる奇数が並ぶ日のこと。この縁起のいい日「五節句」に食べる料理がおせち料理の始まりだと言われています。
槻谷さんによると、おせち料理は1000年以上前となる飛鳥・奈良時代ごろに中国から入ってきました。
当時のおせち料理は位の高い政治家や貴族のみが食べるという位置づけでした。実際に庶民の間でおせち料理が広がり始めたのは江戸時代中期だと言われています。
(日本和食卓文化協会/槻谷順子 代表理事)
「江戸時代中期というのが日本の政治が安定して、いろいろな文化の華が咲いたころ、食だけでなく、金銭的にも豊かになった時代なので、おせち料理の形も江戸時代中期あたりから少しずつ今の形になってきた」
その後、明治時代ごろから『おせち料理』は1月1日のお正月に食べるものを指すようになりました。
「おせち料理は必要なのでしょうか?」(マイケルと同い年 65歳 高松市)
(日本和食卓文化協会/槻谷順子 代表理事)
「私はお正月っていうのは年中行事の一番の『ハレの日』だと思ってます。特別な日にいただく特別な料理、それも年に1回しかいただかない。毎年食べることによって、季節感とともに体の中の核になっていくと思う」
おせち料理は昔から続く伝統的な料理。槻谷さんは年に一度の特別な日に特別な料理を食べることが重要だと考えています。
こういった考えのもと日本和食卓文化協会では、子どもと一緒におせちを作る講座を開いたり行事食や日本の食卓について学べるオンライン講座を開いたりしています。
また『おせち』の食材にまつわる「願掛け」については……。
(日本和食卓文化協会/槻谷順子 代表理事)
「願掛けいっぱいあるんですけど、一番多いのはお金持ちになりたいとか、長生きをしたいとか、勉強ができるようになりたいとか、1つ1つの料理、1つだけでなく複数絡めて掛け言葉のように絡めたものが多いですね」
おせち料理を見てみると……。数の子やだて巻きなどの卵を使った料理には子孫繁栄の意味が、カタクチイワシの幼魚を砂糖などと絡めた田作りには五穀豊穣の願いが。また黒豆には色が黒くなるまで「元気に長生きに」という意味が込められています。
また「色」にも意味があり、かまぼこなどの紅白はもちろん、黄色は太陽やお金を表すため、おせち料理に多くみられます。
また昔は「砂糖」が貴重だったことから、一年に一回はぜいたくに使おうと甘い料理が多いことも特徴です。
また、おせち料理を入れる重箱にも意味があるそうで……。
(日本和食卓文化協会/槻谷順子 代表理事)
「お重におせちを詰め込むようになったのは明治に入ってからと、比較的遅いんですけれども、お重ってフタが被せぶたではなく合わせぶたといって、『福を重ねる・幸せ』の意味があって」
ちなみに槻谷さんによると、黒豆・数の子・田作りは「祝い肴三種」といい、この三種がそろえばおせち料理と言えるとのこと。関東ではこの三種類ですが、関西では「田作り」が「たたきごぼう」に変わるのが一般的だと言われています。
槻谷さんは、地域や環境による食材や料理の違いも含めておせち料理を楽しんでほしいと考えています。
(日本和食卓文化協会/槻谷順子 代表理事)
「お雑煮とかおせちとかは、自分がなぜ今ここに生まれて、ここに生きているのかがわかる貴重な資料だと思います。『祝い肴三種さえあればおせち料理としてはOK』と言われているので、自分のおせち料理として、これだけはゆずれないものを持っているといいのかなと思います」