人工呼吸器をつけてほぼ寝たきり。右手の指先だけを動かしてYouTuberとして活動する男性がいます。
軽快なトークでライブ配信をしているのは愛媛県に住むウッディさん、26歳。本名は非公開。「人工呼吸器系男子」としてSNSで発信をしています。
ウッディさんは脊髄の細胞が変化し全身の筋力が低下していく脊髄性筋萎縮症(SMA)という難病です。
人工呼吸器をつけて生活していて、動かせるのは右手の指先だけ。
そんなウッディさんは、XやインスタグラムなどのSNSを活用していろいろなメッセージを発信しています。
「病気になった人の気持ちわかんのかよ!ってたまに見るけど、いやわからんて。大事なのは自分の知らない世界を否定しないこと」
「物心ついた時から障害者。今も昔も障害者として苦しむことはあっても恥ずべきことはない」
「人生において壁をひたすら作るこの病気の事を『個性』と軽く思えないけど、僕は病気に人生を左右はされない」
(ウッディさん)
「体が動く範囲は少しだけですけど、その少しだけでだいぶ人生が変わったなと。自分のこの障害があるが故に人との違いはより感じるかなとは思うんですけど、でもそれが人と違うっていうところが、ある意味自分の活力というかエネルギーになるときもある」
愛媛県出身のウッディさんは生後10カ月ほどで脊髄性筋萎縮症と診断されました。小学3年生までは地元の小学校に通っていましたが、体調を崩して善通寺市の四国こどもとおとなの医療センターに入院。
小学4年から病院のそばの特別支援学校に通い始めました。高等部では生徒会長も務めました。
(ウッディさん)
「そんなに人前に出るとかが、あんまり得意じゃなかった」
さらにこの特別支援学校での出会いがウッディさんの意識を変えました。
(ウッディさん)
「香川にいた頃に恩師から、自分の困り事がいずれ人のためになるから、自分が困ってることは覚えておきなさいって言われたことがあって。自分が今悩んでることは、どこかで社会の歯車、一つのネジぐらいにはなるんじゃないかなと思って、自分が書けるギリギリの所まで書いた方が、活動する意味としてはあるのかなと思って」
ウッディさんは文章などを投稿できる「note」に50個以上の記事をあげています。このうち有料の記事では生い立ちや家族、障害などについて赤裸々につづっています。
特別支援学校を卒業後、地元・愛媛に戻ったウッディさんは障害者雇用枠で企業に就職します。しかし、体力が落ちて仕事ができなくなり2年ほどで退職しました。
(ウッディさん)
「このままじゃいけないなと思って、SNSで同じ障害の方とかとつながったりだとか、YouTubeを始めたりだとか」
5年ほど前にSNSでの発信を始めたウッディさん。2023年3月には家族を説得して新たな挑戦を始めました。それが「一人暮らし」です。
(ウッディさん)
「父のこの生活もやっぱり僕を中心にこう変わってきた部分って結構あると思うので、香川から実家に戻ってきて、父も自分の人生を送ってほしいなっていう気持ちはやっぱり結構な割合あるかなと」
扇風機やエアコン、テレビなどはリモコンアプリやスマートスピーカーを使って自分で操作しています。
食事などはヘルパーや看護師の介助が必要です。水はトイレのタイミングを考えながら1日2リットルから3リットル飲むそうです。
(ウッディさん)
「背中とかが特に熱がこもるので、汗もかきますし、意識的に水分は多めに取るようにはしています」
この日、普段は1人でライブ配信をしているウッディチャンネルに変化が。
ウッディさんと話しているのはオガちゃんさんとまなとさん。2人ともウッディさんと同じ「脊髄性筋萎縮症」です。インターネットで知り合い、ウッディさんが一緒に配信をしようと声を掛けて実現しました。
(ウッディさん)
「いろんな人と出会って、いろんな人と話して、自分を大事にしてくれる人を大事にするのが、やっぱり自分の人生の幅を増やすには大事かなと思うので」
現在は障害者年金で生活しているウッディさん。次の目標は「稼ぐこと」。右手1つでチャレンジを続けていきます。
(ウッディさん)
「自分としては、このSNSの世界が広がったことが人生の割合ではかなり大きなことかなと思うので、そういう意味では、僕は今右手しか動かないので、右手で自分の人生もいろいろ変わったかなとは思うので、そういう意味で、皆さんにこう、そういう意味で伝わればいいなと」