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【特集】被害は今も…森永ヒ素ミルク事件から68年 被害者「次の世代にも伝えていけたら」

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 1955年、岡山県などを中心に西日本一帯で乳児に大きな健康被害をもたらした「森永ヒ素ミルク事件」から68年。被害は今も続いています。

(森永ヒ素ミルク事件 被害者/菅野孝明さん[68])
「生後6カ月あたりから徐々に体調を崩し始め、激しい下痢、嘔吐、発熱、どんどん弱っていったそうです。のちに、ミルクが原因だと分かった時には母親は自分を責め続けて、それを亡くなるまで、その話をし続けました。ミルクの中に体に一番悪い毒が入っていたんだと。それなのに飲ませ続けたと。この子にあのミルクを飲ませたから一生歩けない、一生ものが言えないそういう方がたくさんいらっしゃいました」

 1955年の夏、岡山県など西日本一帯で、原因不明の乳児の病が相次ぎました。激しい嘔吐に発熱、下痢。皮膚が黒ずんだり肝臓が腫れたりするなどの症状は、のちに「ヒ素中毒」だと判明します。

 原因となったのは、森永乳業徳島工場で製造された「粉ミルク」。企業が安全管理を怠ったために、製造過程で猛毒の「ヒ素」が混入していたのです。

 「森永ヒ素ミルク事件」の被害者は1万2000人を超え、130人の幼い命が失われました。さまざまな後遺症や健康への不安は、68年が経った今も消えることはありません。

(森永ヒ素ミルク事件 被害者/菅野孝明さん[68])
「ヒ素を飲んだ人は乳児であった。成長過程において、いろんな体がつくられるときにヒ素が入ってしまった。若くしてお亡くなりなったり、最近まで施設に入っていてお亡くなりになった方もたくさんいらっしゃいます。こんなことが過去にあったということを忘れ去られる方が怖い」

 森永ヒ素ミルク事件の被害者、菅野孝明さん。高齢者やその家族からさまざまな相談を受け付ける「地域包括支援センター」の研修会で、講演を続けています。

(森永ヒ素ミルク事件 被害者/菅野孝明さん[68])
「私たちヒ素ミルク中毒の被害者がどういう状態なのかを分かっていただいていると、問題が出た時に相談がしやすい、お願いしやすいということがあって、これからも被害者はどんな問題が出てくるか分かりませんので、こういう機会は続けていけたらと思います」

 大阪に本部を置く「ひかり協会」は1974年、ヒ素入りの粉ミルクを飲んだすべての被害者の「恒久救済」を目指して設立されました。

 医療費の援助をはじめ、関係機関と連携しながら年齢やニーズに合わせたさまざまな事業を行っていて、運営資金は森永乳業が出しています。

(公益財団法人 ひかり協会 東中国地区センター/武本直也 センター長)
「世界で初めて乳幼児が体の中にヒ素という毒を入れられた。被害児の親御さんたちは『なんとか体を元に戻してほしい』という願いのもとで、一度賠償金を払って終わりではなく、子どもたちの将来にわたって恒久的に健康管理を支援していくとか、いろんな相談にのっていく、そんな対応が必要だと(考えた)」

 恒久救済は、森永乳業が全責任を認め、被害者団体、厚生省との「三者合意」に基づき実現しました。しかし、それまで19年もの間、被害者の健康被害は放置されていました。

(森永ヒ素ミルク事件 被害者/菅野孝明さん[68])
「戦後の成長期における事件でしたので、日本を豊かにするために企業優先、被害者は全然相手にされなかった事件なんです」

 事件直後、厚生省が設置した第三者委員会が専門医らの意見をもとに「ほとんど後遺症の心配はない」とみなし、補償を認めなかったためです。しかし、その根拠はあいまいで、公平性に欠けるものだったため、親や被害者の不安が解消されることはありませんでした。

(森永ヒ素ミルク事件 被害者/菅野孝明さん[68])
「私の場合は、重度の小児ぜん息になりました。ひどい状態でして、学校に通えない状況が続いていました。病院に行っても、ヒ素ミルク事件の被害者です、患者ですというだけで、ちゃんと見てもらえないことがあったので、なかなか口に出して言えませんでした」

 成長とともに症状は改善したものの、今も投薬や治療を続けているといいます。

(森永ヒ素ミルク事件 被害者/菅野孝明さん[68])
「重度の方は、早くに亡くなったり、障害を持って施設に入っていたり、親御さんが亡くなった後、きょうだいに見てもらったりしていますが、私たちは軽かった方だと思います」

 こうした被害者の実態が明らかになったのは、事件から14年後。追跡調査を行った被害者の約8割に、重度の身体障害や知的障害を含むさまざまな異常がみられるという結果を大阪大学医学部の教授らが発表したのです。

 当時、大阪で保健婦として勤めていた松尾禮子さん。被害者の家を訪ねて聞き取り調査を行ったメンバーの一人です。

(聞き取り調査を行った/松尾禮子さん[82])
「ものすごく怖かったんです。企業の責任、行政の責任、すべてのずっと伏せてあったものを掘り起こすことになるので」

(追跡調査の報告書より)
「原因不明の頭痛、めまい。12歳まで小児ぜん息あり。日常動作ほとんど不可」

(聞き取り調査を行った/松尾禮子さん[82])
「許せないと思いましてね。なんでこんなことが14年間放っておかれたのって。その怒りですよね。それと絶対にこれが2度と起こってもらっては困る」

(追跡調査の報告書より)
「子どもの将来が心配で、生活に心配のないようにだけ」

 被害者の親たちは、企業や国に対策を求めて活動を続け、念願だった恒久救済を実現しました。

 被害者団体は親から子へと引き継がれ、被害者同士の交流を深める活動を行ったり、75歳以降の救済事業の方向性について検討を重ねたりしています。

(森永乳業 社員)
「弊社はこの事件を一生背負うべき十字架であると考えています。ひき続き恒久救済事業の完遂に向けて、全社をあげてその責任を果たしていきます」

 菅野さんは、亡くなった被害者や、今も障害を抱える被害者のためにも、「警鐘を鳴らし続ける」と話します。

(森永ヒ素ミルク事件 被害者/菅野孝明さん[68])
「食品公害事件はいつの時代にもどこでも起きることなんです。私たちが亡くなれば、そういう事件があったことすら風化してしまうのはとても許せないので、次の世代にも伝えていけたらと思います」

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