1955年、粉ミルクの製造過程でヒ素が混入し、乳児に大きな健康被害をもたらした「森永ヒ素ミルク事件」。事件から68年が経った今も後遺症に苦しむ被害者の救済事業が続いています。22日、岡山市で被害者に適切な支援を行うための研修会が開かれました。
(森永ヒ素ミルク事件の被害者/菅野孝明さん)
「飲ませ続けたら、その中に、ミルクの中に、体に一番悪い毒が入っていた」
研修会を行ったのは、地域の高齢者に関するさまざまな相談を受け付けている、岡山市の地域包括支援センターです。
「森永ヒ素ミルク事件」の被害者の高齢化が進む中、事件の歴史や後遺症などについて理解を深め、適切な支援につなげられるよう、毎年、新規採用の職員らを対象に行っています。
1955年に起きた「森永ヒ素ミルク事件」は、乳児が飲む粉ミルクの製造過程でヒ素が混入し、130人が死亡、被害者は1万2000人を超えました。
岡山県は特に被害が多かったとされ、今も後遺症などの健康不安を抱える被害者の救済事業が続いています。
(森永ヒ素ミルク事件の被害者/菅野孝明さん)
「3歳ぐらいからですかね、重度の喘息になりまして、小児喘息を発症しました。激しい呼吸困難で何度か死にかけたような状態になったこともありました」
岡山市に住む被害者の菅野孝明さんは、自身が経験した後遺症などについて語りました。
(参加者は―)
「お母様の気持ち思うと、すごいつらいというか何とも言えない気持ちになりました」
「被害を受けた方が数多くいらっしゃるということなので、そういった方の気持ち過去にも寄り添って支援していくべきかなと感じました」