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“怪童” 中西太さん(90)が死去 香川県出身 去年11月には巨人ドラ1・浅野選手についてコメント「私もうれしかった」

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 高松第一高校からプロ野球・西鉄ライオンズに入団し、本塁打王や打点王など輝かしい功績を残した「怪童」中西太さんが、5月11日に亡くなっていたことが分かりました。90歳でした。

 中西さんは高松第一高校出身で、1952年に西鉄ライオンズに入団しました。

 プロ1年目に新人王、その他5回の本塁打王と3回の打点王を獲得。ベストナインに7回選ばれるなど「怪童」と呼ばれ、西鉄の黄金時代を支えました。

 1963年には選手兼監督としてチームをリーグ優勝に導きました。その後も監督やコーチとして球界に貢献し、1999年には野球殿堂入りを果たしました。

 2000年には高松市の市民栄誉賞も受賞しました。

(中西太さん)
「(若者には)それぞれの個性を持って頑張ってもらいたいということが伝わればいいと、特にその中で野球王国だよということを子どもにもういっぺん知ってもらいたい」

 無類の打撃力から「怪童」と呼ばれた中西さんは2022年11月、KSBの取材に対し、巨人から1位指名を受けた浅野翔吾選手について次のように語りました。

(中西太さん)
「高校時代から見ると私よりもはるかに大したものだ。これは太鼓判。高松・香川県から久しぶりにこういう選手が出たということは私もうれしかった」

 中西さんの訃報を受けて、高松一高野球部のOB会会長で三木町長の伊藤良春さんは――。

(高松一高野球部のOB会会長/伊藤良春 三木町長)
「非常に偉大な人を失った。私たちの生きる支えとも言えるお手本のような人生を送った方を失った。大変つらい思いがひとしおでございます。私どもの本当に誇りと思う大先輩」

 中西さんの思い出の品や写真が展示されている高松市こども未来館に訪れた人は――。

(訪れた人は―)
「香川県人にしたら英雄。『出たらホームラン』みたいなイメージは残っています。あちこちで人を育てた人。全うしていると思います」

 通夜と告別式はすでに行われたということです。

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