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「首里城を救った男」鎌倉芳太郎の顕彰碑を沖縄に設置へ 出身地・香川を視察

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 香川県出身の人間国宝・鎌倉芳太郎は沖縄県の「首里城」を3度救ったと言われています。その芳太郎の顕彰碑を沖縄に作ろうとしている団体が21日、香川県を視察しました。

 鎌倉芳太郎の出身地である香川県三木町の顕彰碑を視察したのは、那覇南ローターリークラブのメンバー6人です。この顕彰碑は、芳太郎の生家が見渡せる場所に地元の顕彰会が13年前に設置しました。ここには沖縄での功績も記されています。

(那覇南ロータリークラブ/友利敏子さん)
「感動しています。沖縄にとってはすごく大事な人ですから」

 型絵染の人間国宝で沖縄文化研究家の鎌倉芳太郎は、1898年・明治31年に三木町氷上で生まれました。東京美術学校(現在の東京芸術大学)を卒業後、美術教師として沖縄県に2年間赴任します。その間、沖縄の芸術に魅せられ、沖縄の文化・風俗などの研究を始めます。

 東京に戻った後も、沖縄を訪れては戦前の首里城の姿や紅型のデザインなど多くの資料を残しました。

 81冊にわたる取材ノートは「鎌倉ノート」と呼ばれ、克明で正確な調査資料として国の重要文化財に指定されています。

 戦争によって沖縄県の資料の多くが焼失したため、芳太郎が東京に持ち帰っていた資料が平成・令和の首里城の復元に役立てられました。

 鎌倉芳太郎は三木町の名誉町民になっていることから、沖縄の一行は伊藤町長を表敬訪問しました。

(香川・三木町/伊藤良春 町長)
「(芳太郎は)専門分野の方々の中で非常に評価されているものを、これが顕彰碑と首里城の建設に合わせて広く沖縄県民の方々に広まることを願います」

 沖縄からの一行は、高松市庵治町にある庵治石の採石場も訪れました。沖縄の顕彰碑は庵治石で造り、首里城が見渡せる場所に設置する計画だということです。

(鎌倉芳太郎顕彰会 会長[高松大・短大学長]/佃昌道さん)
「これからしっかりと沖縄の顕彰会を作って、芳太郎を知ってもらって、すぐにその活動が始まると聞いています」

(那覇南ロータリークラブ 顕彰会準備委員/稲垣純一さん)
「(顕彰碑設置への)準備するのに、まだ1年はかかるでしょうから、さらにその間に盛り上げていきたい。既に呼び掛け人で名前をお貸しくださっている沖縄の有名人は100名近くになります」

 沖縄では8月に顕彰会が発足し、2024年の顕彰碑設置に向けて沖縄で募金活動を始める予定だということです。

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