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首里城を救った香川出身・鎌倉芳太郎に注目集まる 残した記録の素晴らしさとは

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 沖縄本土復帰50年の2022年、香川県出身の沖縄文化研究家・鎌倉芳太郎に改めて注目が集まっています。芳太郎が残した資料は令和の首里城の復元に大きな貢献をしているだけでなく、その功績はさまざまな分野で色あせることがありません。

 3年前に焼失した首里城の正殿。首里城の資料は戦争でほとんど残っておらず、鎌倉芳太郎が正殿の設計図ともいう「寸法記」を模写して残していた事で復元が可能になりました。

 芳太郎は当時の写真技術では最高とも言われる「ガラス乾板」を使って正殿を撮影しました。首里城以外にも琉球王朝時代の工芸品や歴代国王の肖像画なども撮影していました。

 また、芳太郎の調査は石垣島や宮古島など八重山諸島にまでおよび、当時の民家や衣装、風俗まで調査し、写真や記録ノートに克明に残していました。

(鎌倉芳太郎顕彰会/佃昌道 会長)
「まず、紅型の復興。なくなった紅型を復興させた事が大きな功績。もう一つは、鎌倉ノート自体を見てみると、いろいろな離島の文化なども伝えることをしていて、特に歴史や寺社仏閣など中心にフィールドの写真を撮っている。御後絵(琉球王朝の肖像画)であるとか、写真にしているので、歴史文化を伝える大きなフィルードの資料、その中の1つが首里城」

 琉球王朝の貴重な文化財や建物は沖縄戦でほとんど焼失しました。そうした中、芳太郎が東京に持ち帰った写真やノートなどの資料だけが貴重な手がかりとして残されました。

 その数は実に7500点にのぼり、今も当時の文化の研究に役立っています。この資料は芳太郎が亡くなった後、全て沖縄に寄贈されました。

 中でも晩年鎌倉芳太郎が型絵染の作家として生計を立て、人間国宝にまで昇り詰めるきっかけになったのが「紅型」です。

 鎌倉芳太郎研究の第一人者、名桜大学大学院の波照間永吉教授は芳太郎の凄さを「型絵染・沖縄で紅型と言っている色鮮やかな染物の資料がある。それも型紙が千数百枚残っている。鎌倉先生が収集されて、これなども琉球における型絵染の研究をする上では極めて貴重な資料」と語ります。

 首里城の正殿の復元は令和8年、2026年に完成する予定です。平成、令和と首里城の復元に貢献する鎌倉芳太郎が残した資料は、これからも彼が愛した沖縄で生き続けていきます。

(名桜大学大学院/波照間永吉 教授)
「鎌倉先生の残した資料は首里城の写真だけでなく、琉球の芸術・工芸、さらには民族についての資料までしっかりと残してくれている。琉球文化を丸ごと記録していこうと取り組んだ」

 この鎌倉芳太郎の功績を沖縄でも多くの人に知ってもらおうと、首里城の近くに記念碑を作る動きも進んでいます。

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