中東シリアでアサド政権が崩壊しました。
焼け焦げた部屋や散乱する資料。主の消えたここはシリアの首都ダマスカスにある「大統領官邸」です。
8日、反体制派の武装勢力が“アサド政権の崩壊”を表明。大統領がロシアに亡命したことが伝えられました。
反体制指導者 ジャウラニ司令官 「13年間の苦しみが癒やされていくのを私たちは、この目で目撃しました」
民間人約30万人の犠牲者と1300万人の難民を生んだ13年にわたる内戦。そして“アサド政権”とは一体なんだったのでしょうか…。
1971年以降、大統領を務めた父の後継者として2000年から政権を握ることとなったバッシャール・アサド大統領。そんななか、2011年から中東で拡大したのが民主化を訴える反政府デモ「アラブの春」です。
これがシリアにも波及。アサド政権の独裁、監視体制に対抗した民主化運動が勃発し、以降、激しい内戦が続くこととなりました。
これによって一時、崩壊寸前まで追い詰められたアサド政権。そんななか、その窮地を救ったのがロシアやイラン、ヒズボラでした。後ろ盾を得たアサド政権は軍事援護を受けながら徐々に形勢を逆転。反政府勢力は、ほぼ壊滅状態に…。
しかし、先月下旬に反体制派が再び攻撃を始めると、わずか10日余りで首都ダマスカスを制圧。アサド政権に突然のピリオドが打たれたのです。
反体制派 市民 「シリアの状況が以前よりも良くなり、平和が広まることを神に祈ります」 「本当に妙な感情です。こんなに大きな驚きがあるとは思ってもいませんでした」 「神は偉大なり!神は偉大なり!」
2代、半世紀にわたったアサド政権は、なぜ崩壊に至ったのか。