鹿児島県沖に沈んだままとなっている旧日本軍の戦闘機・紫電改について、着水した時の状況が詳細に書かれた資料が見つかりました。そこから新たな事実が分かりました
太平洋戦争末期、米軍機と交戦後、鹿児島県沖に沈んだ戦闘機、紫電改。4月に行われた調査では、その姿がはっきりと確認できました。
しかし、この紫電改の操縦席で戦死した林喜重大尉(だいい)がどのようにしてこの場所にたどり着いたか、詳細は分かっていませんでした。
戦後80年が経ち、この紫電改について書かれた資料が先月、新たに見つかりました
東海大学 太田尚樹名誉教授 「これは外部に出していない。ここにしかない。誰かの証言に作家が手を加えたものと違い信頼性が高い」
この資料は、林大尉の上官が保管していた旧日本海軍航空隊の報告書です。
戦史を専門に研究する太田尚樹氏の元に提供されました。
太田尚樹名誉教授 「林さんのことですね、亡くなったいきさつが書いてある」
車輪を格納しないまま、30度の角度で海中に突っ込んだ。
これまで、明らかになっていなかった紫電改の最後が記されています。
資料からは、当時、紫電改はかろうじて制御できる状態にあり、林大尉は、あえて陸地に近い海面を選んで不時着を試みていた形跡が読み取れます。
鹿児島県沖に沈む紫電改は現在、地元の市民団体が年内の引き揚げを目指し準備を進めています。
紫電改・林大尉機を引き揚げる会 肥本英輔会長 「今まで見た資料より詳細で、かなり事実を確認して書いてある印象。エンジンが被弾していたなかで何とか不時着しようとして最も良い場所を選んで南西方向から不時着したと判断できます。確実に生きようとしたはずです」