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「沖縄の親族と会いたい」父と生き別れたフィリピン残留2世が情報提供呼びかけ

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 戦後81年経ち、日本国籍を回復したフィリピン残留2世の女性が生き別れた父の親族を探すために情報提供を呼び掛けました。

 フィリピン残留2世の賀数アデライダさん(90)は、太平洋戦争中に父・賀数昇さんと生き別れました。

 アメリカ軍の捕虜となり強制送還された昇さんは、アデライダさんと再会することなく沖縄で病死しました。

 戦前の国籍法では日本人の父を持つ子どもには日本国籍が与えられましたが、アデライダさんなど残留2世の多くは戦火で父子関係を証明する書類などが消失したため、無国籍状態となりました。

 去年6月、テレビ朝日が報じた別の残留2世の姉妹と日本の親族の80年越しの対面のニュースが現地のテレビ局で取り上げられたのをきっかけに、アデライダさんは支援団体「フィリピン日系人リーガルサポートセンター」に調査を依頼。

 その結果、両親の婚姻記録などが新たに見つかり、3月、日本国籍の回復が認められました。

 アデライダさんは来月にも父の出身地・沖縄を訪れて墓参りをしたいと話し、日本の親族を探すために情報提供を呼び掛けました。

 賀数アデライダさんは「(日本の地を踏むだけでも)父とは心でつながり、語り合うことができます。父に『私はあなたの娘です。今ここにいるよ』と語りかけたい」また、「沖縄の親族と会うことができたら、父の最期を看取ってくれたことに感謝を伝えたい」と話しました。

 支援団体によりますと、太平洋戦争中、昇さんは通訳として日本軍に協力していましたが、アデライダさんの兄・昇一さん(終戦時16歳)と一緒にアメリカ軍の捕虜となりました。

 昇さんは家族全員での日本帰国を望んでいましたが、昇一さんと2人だけが強制送還され、母とアデライダさんを含む3人姉妹と2人の弟がフィリピンに残されました。

 戦後、沖縄に戻った父とは手紙のやりとりがあり、「皆を呼び寄せたい」と書かれていました。

 一緒に強制送還された兄・昇一さんも沖縄で暮らし、日本国籍を持っていましたが、1970年代に生き別れた母や妹が暮らすフィリピンへ戻りました。

 1980年ごろまでは沖縄の親族たちと手紙のやりとりが続いていて、今も残されている手紙には複数の「賀数」姓の親族が当時住んでいた糸満市の住所が記されていました。

 支援団体は今後、情報提供をもとに親族と連絡を取り、墓の場所の特定を進めるなどしてなるべく早期の訪日実現を目指したいとしています。

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