戦争の悲惨さを後世に伝えます。高松空襲を語り継ぐ活動を続けている85歳の男性が高松市の中学校で講演し、戦争の悲惨さを伝えました。
(高松空襲の語り部/喜田清さん(85)) 「何千、何万とビューっと雨が降ってくるように、空から焼夷弾が落ちてきます」
1945年7月4日未明、市街地の8割が焼け野原となった高松空襲では1359人が死亡しました。中学生を前に当時の悲惨さを伝えているのは、喜田清さん(85)です。
喜田さんは自らの経験に加え、600人以上の人に話を聞き、「語り部」として、若い世代の人たちに高松空襲を伝えています。
(高松空襲の語り部/喜田清さん) 「約半分は皆さん方のような子ども、皆さん方より幼い子どもばかりが亡くなっているのが、高松空襲であります。悲惨な戦争を二度と繰り返してはいけない」
喜田さんの思いは、中学生の胸にしっかりと刻まれたようです。
(中学生は―) 「戦争の悲惨さや、喜田さんや被害に遭った人たちの思いがよく分かりました」 「戦争は本当につらいものであるし、本当に2度と起こってほしくないものだと思います」