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「どうやったら生きられるか」とばかり…高松空襲から77年 経験者が戦争の悲惨さ語る 香川

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 高松空襲から7月4日で77年です。戦争の悲惨さを後世に伝えようと高松空襲を経験した人の講演が行われました。

(高松空襲を経験/戸祭恭子さん[91])
「私ももう91歳になるし、話ももうしどろもどろやからお断りしようかなと思ったんですけど、一人でも二人でも、十分知っていただきたいという思いから、杖をつきながら来たんです」

 14歳のときに高松空襲を経験した高松市の戸祭恭子さんです。1945年7月4日未明、高松空襲では市中心部の約8割が焼け、1359人が犠牲となりました。

 アメリカ軍のB29・116機が高松市に飛来し800トン以上の焼夷弾を投下しました。

(高松空襲を経験/戸祭恭子さん[91])
「はだしで歩くと焼夷弾やらなんやらでコンクリートのところが熱いんですよ。怖いともつらいとも思わずに、淡々とどうやったら生きられるかということばかり考えて逃げていた」

 戸祭さんは、赤ん坊が、母親が死んだことに気づかず泣きながら母親の乳を探す姿を目撃したことなど、当時の体験談を語りました。

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