西日本豪雨の発生から4カ月。岡山県の伊原木隆太知事がKSB瀬戸内海放送の単独インタビューに応じ、これまでの4カ月、そして今後の方針を語りました。
Q.発災直後を振り返ってー 「6日の夜のことは一生忘れないだろうと思います。なかなか雨がやまない、ダムの水位は上がっていく、川の水位も上がっていく。あのそれぞれのときの判断、連絡は非常にもどかしい思い。頭に残っていますね」
降水量1ミリ未満の日が、過去の統計上全国で最も多いことなどから、県は「晴れの国おかやま」という愛称を広報活動などで積極的に使ってきました。 しかし、豪雨災害の発生後、このキャッチフレーズが県民の避難行動や県の対応の遅れに影響したのではないかという指摘が出てきました。
Q.「晴れの国」という考えが避難行動を遅くさせたのでは? 「自主防災組織の組織率が低いだとか、災害に対する危機感が他県と比べれば低いということは把握はしておりましたが、きちんとした対応が取っていただけるようにしなければいけないということは、分かっていながら、なかなかできていなかったという反省があります」
Q.「晴れの国」という言葉は、これからどうしていくのか? 「岡山のいろんな特徴を端的に表したいいキャッチフレーズだと思いますけれども、(県民の)みなさんがこれからも使いたいと思われているのであれば使い続けたいですし、これはなかなか使いづらいというふうに多くの方が思われれば、使いづらいということになります」 Q.県民の方に任せるとー 「そうですね」
Q.避難情報をどう伝えていくべきか? 「いつ逃げなければいけないのか。小雨で逃げ出したら市民生活成り立ちませんので、その情報をきちんと、いかにお伝えするか。1万回のうちの9999回空振りというと気が遠くなりますが、それが100回のうちの99回なのか、20回のうちの19回なのか、そういった空振りについてはある程度頭に入れて逃げるということを、ぜひお考えいただきたい」
(記者リポート) 「倉敷市真備町の小田川決壊した堤防の本格的な復旧工事が、11月1日から始まりました。被災地の復興と被災者の生活再建もまだ始まったばかりです」