3年前、岡山県瀬戸内市のハンセン病療養所で見つかった解剖録。1956年までに亡くなった入所者の記録がまとめられています。療養所は「これ以降の解剖録は見つかっていない」としていましたが、別の形で記録が残っていることが分かりました。
瀬戸内市にある長島愛生園では、2021年に32冊の解剖録が見つかりました。これは1931年から56年までに亡くなった入所者の約8割にあたる1834人分の記録をまとめたものです。
長島愛生園は、この時代以降の「解剖録」は見つかっていないとしていました。
一方、「岡山県ハンセン病問題関連史料調査委員会」のまとめによると、少なくとも1960年から64年まで、ほぼすべての遺体を解剖していたことを示す当時の資料が残っています。
編さんに関わった専門家は……。
(資料の編さんに関わった/木下浩 学芸員)
「(資料は)それぞれの園にアンケートをとり、長島愛生園がアンケートに回答する形で返ってきたもの。そこには、ある程度真実というか、正確さはあると思います」
これについて、医師でもある長島愛生園の山本典良園長はーー。
(記者)
「原本は(解剖された)患者の数だけ残っているのではないか?」
(長島愛生園/山本典良 園長)
「そうです、それは『各々のカルテ』に挟まっています」
山本園長によると、1956年を境に、解剖の記録は「解剖録」というまとまった形ではなく、個人のカルテと一緒に保管されているということです。
ハンセン病の特効薬ができた1950年代以降も、高い割合で解剖が行われた理由について、園長は、「特効薬の効き目を確認したり死因となった病気を特定したりするため」ではないかとしています。
一方、1956年以降の記録について、いつ・どれぐらい解剖が行われたかなど、詳しい調査はしていないということです。
かつて、国の強制隔離政策のもと、各地の療養所で行われた解剖をめぐっては、同意の取り方などについて問題があったことも指摘されています。
(長島愛生園/山本典良 園長)
「誤りがあるから、それを捨てていいという思いには、私はなりません。ハンセン病の歴史を考えるうえで残していきたい」
長島愛生園は、遺族から希望があれば、これらの記録を開示するとしています。
(長島愛生園/山本典良 園長)
「診療録(カルテ)の中に解剖記録が残っていれば、開示希望があれば開示する」