岡山県瀬戸内市にある国立ハンセン病療養所「長島愛生園」で、6月3日、入所者の遺族による講演会などが行われます。これに先駆けて、遺族と入所者らが対面し、思いを語り合いました。
(長島愛生園入所者の遺族/木村真三さん)
「僕としては、こういう施設やこういう資料、生きた証し、これは絶対残さないといけないと思う。あってはいけない事実というのも残していく」
5月24日、長島愛生園で対談したのは、入所者の遺族である木村真三さんと入所者自治会の中尾伸治会長、山本典良園長らです。
木村さんの父方の大伯父で、ハンセン病を患っていた木村仙太郎さんは、1939年に長島愛生園に入所し、2年後に55歳で亡くなりました。
ハンセン病は感染力が非常に弱く、戦後には治療法も確立されましたが、国は1996年まで約90年にわたって強制隔離政策を続けました。入所者や家族はいわれのない差別や偏見に苦しみ、その問題は今もなお根深く残っています。
木村さんは身内にハンセン病患者がいたことを長らく心に秘めていましたが、2022年、園に残っていた仙太郎さんの写真やカルテ、解剖録を一般公開しました。
(長島愛生園入所者の遺族/木村真三さん)
「葬り去られてなかったかのようにされること自体が、僕は差別だと思っている。生きていた人がいて、苦しんだ人がいるんだというその気持ちを家族以外の人たちに知っていただいて、生きた証しが消えてしまわないようにするために、何をすべきかという一つのテーマとして公開を考えました」
そして6月、長島愛生園での公開を終えるにあたって、木村さんは講演会を行うことになりました。
14歳で入所した中尾さんや、山本園長を交えたシンポジウムも予定しています。
(長島愛生園 入所者/中尾伸治さん[88])
「私は常々(ハンセン病の問題について)隠すのではなく表に出して皆さんに知ってもらいたいというのが僕の希望なので」
(長島愛生園入所者の遺族/木村真三さん)
「解剖録とか、そういったものがただの負の遺産というのではなく、今いらっしゃる中尾さんとか、入所者の人たち、お勤めになっている先生方のお話を聞いてきちんと形を後世に残す、そういうことが考えられるシンポジウムにしたい」
長島愛生園には、仙太郎さんを含めて1834人分の解剖録が残っています。入所者の高齢化が進む中で、ハンセン病の記憶をどのように残していくのか……。遺族が語る講演会は、6月3日、長島愛生園で行われます。