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【戦後80年】竹やりに弓で訓練…学校も焼失 学校日誌が記録した「軍事教育」

社会

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 今年は「戦後80年」です。戦争は幼い子どもの学び舎を死と隣合わせの「軍事教育」一色の場に変えていました。

鈴木静扶さん(91) 「エイヤー!とかね。女は竹やり・弓、男の子は鉄砲、それが体育の時間だったね」

 鈴木静扶さん。太平洋戦争末期の1945年。愛知県岡崎市の羽根国民学校の、今でいう小学6年生でした。

 当時、体育の授業はもっぱら敵と戦う技術を磨く訓練でした。その最中、地域は度重なる空襲に見舞われ、通っていた学校も焼失。

鈴木静扶さん 「焼け跡を見に行った帰りに一番後ろの子がやられてしまった。自分が怖いという気持ちが先に立って申し訳ないけれど、かわいそうだったなと」

 一緒にいた1年生の男の子がアメリカ軍機からの機銃掃射で亡くなりました。

 ANNは取材の過程で、鈴木さんが学校焼失後に通った隣の岡崎国民学校の「学校日誌」を発見しました。

 そこには「決戦教育」「敵前武技」など鈴木さんも行った訓練の記録が残されていました。

 全国の学校日誌を研究する専門家は…。

学習院大学 斉藤利彦名誉教授 「残っているのは貴重なケース。最後には上陸するアメリカ軍と本土決戦を行って勝つんだと。だから、薙刀(なぎなた)だ竹やりだという話になるが、児童にそんなことできますか?」

 また、子どもたちを少年兵に志願させていたことなども記されていました。

 そして終戦の日。その日は敵前武技の文字に加え、別の筆跡で終戦を告げる玉音放送があったと追記された跡がありました。

 その後は軍事教育に関する記述はなくなり、自由研究などの文字も見られるようになります。

鈴木静扶さん 「大変な時代を生きてきたと思うけれど、当時は子どもだし、これがこういうものだと思って。今思えば大変な間違いをしてきたわけだけれど」

 鈴木さんは平和な、のびのびとした教育が続いてほしいと願っています。

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