地元のヒーローが凱旋です。10月に行われたプロ野球ドラフト会議でオリックスに2位指名された、岡山県備前市出身の頓宮裕真選手。地元で祝賀会が開かれ、決意を新たにしました。
ドラフトから約1カ月、頓宮裕真選手は、母校・岡山理大付のグラウンドで汗を流しました。
(オリックス 2位指名/亜細亜大 頓宮裕真 選手) 「ずっと小さい時からプロ野球選手という夢を追いかけてやってきたので、呼ばれるか呼ばれないかは別にして、自信を持って座って(待って)いたんで、呼ばれたときはほっとした気持ちでした」
岡山理大付時代は、1年秋から4番に座り、強打のキャッチャーとして活躍。最後の夏は決勝で涙を飲むなど高校3年間、甲子園出場はありませんでしたが、攻守の軸としてチームをけん引しました。
頓宮選手の地元では、今回の帰省に合わせ、祝賀会が開かれました。主催は、備前市の少年野球チーム、伊部パワフルズです。
頓宮選手は小学1年生の時にこのチームに入団し、野球を始めました。当時からポジションは、キャッチャーでした。
約80人の出席者の中には、オリックスバファローズの山本由伸投手も。 今年、高卒2年目ながらオールスターにも選ばれた期待の右腕は、頓宮選手の2学年下で、同じ少年野球チームに所属していました。なんと家は隣同士です。
(オリックス・バファローズ/山本由伸 投手) 「まさか小学生以来の野球を、オリックスでできると思っていなかったので本当にうれしくて楽しみです。来年から宜しくお願いします」
(オリックス 2位指名/頓宮裕真 選手) 「プロ野球では先輩になるんですが、なめられないように自分も必ず、よっしーより良い結果出して、よっしーが投げている時には自分が打って、またバッテリーを組めたら備前も盛り上がると思うので」
会では、出席した1人1人に頓宮選手があいさつして回り、思い出話に花を咲かせていました。 頓宮選手が小学生当時書いたコーチへの寄せ書きにはこんな一言も…
(小学校時代のコーチへの色紙) 「『プロ野球選手になったらお金をちょっとあげますよ』(笑)」 (チームメイトはー) 「証拠じゃからな、ちゃんとあげろよ」
会の終盤になると、頓宮選手に写真やサインをお願いする人が殺到していました。
夢の舞台での戦いに向けて地元で決意を新たにした頓宮選手。
(オリックス 2位指名/亜細亜大 頓宮裕真 選手) 「一番はバッティングなんで1年目から2桁ホームランを打てるように。2年、3年後にはホームラン王を獲れるように頑張っていきたいと思います」