東日本大震災の被災地・福島県を中心に手品で笑顔を届けている岡山市出身のマジシャンがいます。
今、被災地から届けたい思いとは。
(マジシャン/空先拓海さん)
「帰宅困難地域って大きく書いてあって警備員がずっといる。10年経ってるんですよ。まだ帰れない、家に。車で窓を閉めないとだめ、ガラスが割れてて人気(ひとけ)が全くない」
東日本大震災の被災地の現状を話すのは、岡山市出身のプロのマジシャン空先拓海(そらさき・たくみ)さん(27)です。
空先さんは約1年半前から福島県を拠点に、子どもたちに手品を披露しています。
そんな空先さんには壮絶な過去がありました。
どん底だった人生に2つの出会いが…
(マジシャン/空先拓海さん)
「物心つく前から虐待を受けていた。家の中だったら包丁持っていないと落ち着かなくなっていた」
高校時代の空先さんは、非行に走ったこともありました。
そして16歳で家出。たどり着いた場所は旭川の橋の下でした。ホームレス生活は半年ほど続きました。
KSBが空先さんを初めて取材したのは2016年。
翌年、どん底だったという人生の転機になった出会いを話してくれました。
(マジシャン/空先拓海さん[2017年当時])
「僕の親友ががんで入院したんですね。励まそうと思って手品をしたんですけど、素人がやるので全部ばれた。頑張って練習してもう1回見せに来るからって練習してるうちにマジックにはまって」
これをきっかけにマジシャンの道を歩むことになった空先さん。
母親の勧めで、復興支援に訪れた福島県でもう1つの出会いがありました。
(マジシャン/空先拓海さん)
「(被災者の)生きる力にすごく感動して、この人たちを笑顔にしたいと思った」
マジックの腕を磨き、東北に行くことを決意した空先さん。
実績を重ね活動拠点を福島へ
空先さんは岡山県のマジシャンとして初の単独公演を成功させるなど実績を重ね、2019年に活動拠点を福島県郡山市に移しました。
マジックでみんなを笑顔にするだけでなく、被災地の実情や、自分の生い立ちを包み隠さず話し、人とのつながりの大切さを伝えています。
その活動は福島や岡山だけでなく全国に広がりました。
(マジシャン/空先拓海さん)
「まだ帰れない所があるんだ。福島の汚染土や原発の問題を思い出してもらう機会になれば」
新型コロナウイルスの感染が拡大してからは、地元の人と一緒に福島第一原発の影響で、今も一部が帰還困難区域になっている福島県飯舘村の動画をつくりSNSで発信するなどしています。
(マジシャン/空先拓海さん)
「岡山からいただいた恩を福島に送れたら、福島で受けた恩を岡山に送りたい。発信して興味をもってもらう、自分にもできることなのかなと」