ニュース

高松空襲から79年 慰霊堂を30年近く毎朝掃除する遺族の女性 平和への思いを胸に

ADVERTISEMENT

ADVERTISEMENT


 高松空襲から4日で79年です。空襲で両親を失った女性は、平和への思いを胸に高松市にある慰霊堂を毎朝掃除しています。

 近所に住む太田幸子さん(85)は、台風や大雨の日を除いて六角堂の朝の掃除を30年近く続けています。

(太田幸子さん)
「気持ちが落ち着きますやん。お掃除したらね。少しでもね」

 太田さんは6歳の時に高松市中野町で空襲に遭い、両親に手を引かれて逃げました。

(太田幸子さん)
「上の方を見たらあっという間に赤くなって下はうめき声。慌てているから。ひっくり返ったり。そのあと私、分からないんですよ」

 1945年7月4日未明、アメリカ軍による1時間半の空襲を受け高松市中心部の約8割が焼けて、1359人が亡くなりました。

 太田さんは、頭に焼夷弾の破片が当たり大けがをしました。そして両親を失いました。

(太田幸子さん)
「毎日お掃除してたら供養になるかなと思って少しは」

 太田さんは、慰霊碑の前や慰霊堂の周りに水をまくようにしています。

(太田幸子さん)
「皆さん、大やけどして亡くなっているからね。熱かっただろうと思って少しずつまいて帰るんです」

 「よい戦争はない 悪い平和はない」六角堂は、この心のもと遺族によって建立されました。

 空襲から79年。太田さんはこれからも体力の続く限り掃除を続けるといいます。

(太田幸子さん)
「平和であってほしい。それが一番。寂しいじゃないですか、もう恐ろしい目に遭わないでほしい。これからの若い人には」

関連ニュース

全国ニュース(ANN NEWS)

新着ニュース