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“沖縄と皇室” 交流は若い世代へ…戦後80年 天皇ご一家“慰霊の旅”

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戦後80年にあたり、天皇ご一家が沖縄を訪れ、戦没者を慰霊されました。

3人そろわれての慰霊の旅は、両陛下の強い思いで決まったそうです。

慰霊の日に戦後80年の追悼式が行われる平和祈念公園の施設をまわって、戦没者を慰霊されました。

予定時間を大幅に超えて、遺族らの声に耳をかたむけられました。

戦争で家族を亡くした新垣生雄さん 「愛子さまからも声がかかり『これからも元気で頑張って下さいね』と言われ、大変、光栄に感じた。もう何とも言えない」

沖縄戦などで亡くなられた人たちの名前を刻んだ平和の礎。その数、24万2567人。いまも増え続けています。

太平洋戦争の末期、沖縄は、住人を巻き込んだ激しい地上戦の舞台に。“戦後80年”といっても、沖縄は、終戦から27年もの間、アメリカ軍の統治下に置かれてきました。

1975年7月、皇室に対する複雑な感情が残るなか、当時、皇太子だった上皇さまと美智子さまが沖縄を訪問され、事件が起きます。過激派から火炎瓶を投げつけられました。その日の夜、上皇さまは「この地に心を寄せ続けていく」との談話を発表して、翌日の予定も変更されませんでした。

その思いは、いまも受け継がれています。

1時間遅れで到着した4日の最後の予定は、元“豆記者”の皆さんとの懇談でした。 豆記者とは、沖縄の小中学生を東京などに招いて、記者の仕事を体験してもらうこと。沖縄に寄り添う形で、上皇さまが皇太子だったころから続いています。

天皇陛下が豆記者から受け取った歴史に関する本は、愛子さまにも引き継がれ、沖縄への理解を深められたそうです。

“豆記者”を経験した金城若葉さん(大学4年) 「豆記者との交流を、こんなにも沖縄のことを思ってくれて、長く続けてくれていることにありがたいという気持ちと同時に、私たちも皇室の皆さまのことを知りたいと思う」

戦争体験者 玉木利枝子さん(91) 「天皇家に対して、複雑な思いが体験者としてあるけど、非常に柔和で、上皇さまから継いで、どうすればこれから良いか、戦場にいた皆さんが癒されるか、心がけていらっしゃることには、これからの世代を担っていく皇族であると感じました」

ご一家での慰霊の旅は、2日間の日程で、5日は、那覇市をまわられる予定です。

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