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47都道府県の中で最も遅く「県」になった香川県…独立の“キーマン”となったある大物政治家とは

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 「香川県独立の父」とも呼ばれている「中野武営」についてです。
 47都道府県の中で最も遅く「県」になった香川県。中野武営が関わった香川県独立の“キーマン”ともいえる大物政治家をご紹介します。

中野武営が香川県の独立を目指した“きっかけ” その人物とは―

 江戸時代も終わりに近い1848年に高松藩士の子として生まれた中野武営。20歳で明治維新を迎えると新政府に仕え、内務省などで役人として働きました。
 ところが1881年、武営は役人を辞め政治家として再出発をします。

 その“きっかけ”となる人物がいました。

(記者)
「中野武営と関りの深い人物と言えば、こちら早稲田大学を創った大隈重信です」

 中野武営は、大隈重信を党首とする立憲改進党に入党。自由民権運動に身を投じます。

 早稲田大学構内にある大隈庭園は、高松藩の屋敷跡を大隈重信が中野武営の仲介で買い取ったものです。長年、中野武営を研究している政治学者の佐賀香織さんと園内を散策しました。

(記者)
「大隈庭園と大隈重信、中野武営ってのはつながりますけどね、そこからいろいろ紐解いていくと本当に歴史の中、いろいろ今日につながっているみたいな」
(政治学者/佐賀香織さん[香川県出身])
「実際、大隈重信も日本の政治の礎というのを築いていきましたけれども、中野武営とともに日本の近代化をかなり強く推し進めたというふうに考えております」

 1888年、香川県の独立を目指して活動する中野武営は、当時、外務大臣だった大隈重信などを通じて中央政府に働きかけました。
 その甲斐もあって、ついに香川県は日本最後の県として独立を果たすことができたのです。

 中野武営と大隈重信との交流はその後も長く続き、1918年、70歳で亡くなった中野武営の葬儀には大隈重信が友人代表として参列しました。

(中野武営顕彰会 会長/佐伯勉さん)
「(中野武営を)知ってもらうというのは第一義なんですが、知ってもらうと同時に中野武営さんの記念の銅像をね、適当なところに造ろうじゃないかと」

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