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【特集】100%倉敷の綿で出来た服を赤ちゃんに 「繊維産業のまちの誇り守りたい」男性の思い

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 「繊維産業のまち」とも呼ばれる岡山県倉敷市。ただ、発展の基盤となった綿の栽培は現在ほとんど行われていません。そんな中、自分で育てた綿を使い服づくりを始めた男性がいます。きっかけとなったのは、繊維産業のまちの誇りを守りたいとの思いです。

 倉敷市の楠戸俊宣さん(71)がもくもくと箱詰めしているのは、子ども用の衣類です。2019年に洋服の企画・販売を始めた楠戸さんは、商品に使っている綿を自分で栽培しています。

(栽培した綿で服づくり/楠戸俊宣さん)
「倉敷で生まれた赤ちゃんに最初に身に付けるものを、正真正銘の100%、倉敷の綿で出来た産着を着てもらいたい」

 綿は倉敷市の4カ所の畑、約6600平方メートルでB型事業所の利用者と一緒につくっています。

 2017年、倉敷市の繊維産業の歴史が「1輪の綿花から始まる倉敷物語」として日本遺産に登録されたのがきっかけになったそうです。

(栽培した綿で服づくり/楠戸俊宣さん)
「せっかく日本遺産に登録されたなら、何か本当に栽培して体現しないと、言葉が軽いと」

 倉敷の繊維産業の発展は綿の栽培が出発点だとも言われています。江戸時代の干拓でできた倉敷の平野部では、当時、塩分に強い綿やイグサの栽培が盛んで、江戸時代中期の倉敷川周辺は綿を売り買いする商人でにぎわいました。

 明治以降、倉敷には民間の紡績所が次々と開業、さまざまな衣料品がつくられるようになり、倉敷は「繊維産業のまち」と呼ばれるようになりました。

 かつては倉敷の発展を支えた綿の栽培。しかし、現在ではほとんど作られていません。

(栽培した綿で服づくり/楠戸俊宣さん)
「誰か土を耕して種を植えて、一気通貫でストーリーとして綿栽培全体を文化と発信する人がいても」

 「繊維産業のまち倉敷」の誇りを守りたいというのが楠戸さんの強い思いです。

 さらに楠戸さんは育てた綿で、ある商品を作りたいと考えました。

(栽培した綿で服づくり/楠戸俊宣さん)
「1人娘が結婚して孫ができたので、コットンセーターを孫に着せようと」

 安全・安心な綿で孫にセーターを作りたいとの思いから、楠戸さんは栽培に農薬を使っていません。また着心地を追求するため、「バルバデンセ」という高品質な綿を選びました。

 繊維が長い超長綿と呼ばれるタイプのもので、肌ざわりがやさしい一方、栽培期間が長いうえ一般的な綿より採れる量が少ないそうです。

 収穫した綿はそのままでは出荷できません。綿の中には大豆ほどの大きさの種が入っているため、専用の機械を使って黒い種だけを落とします。

 綿は大阪の紡績工場で糸にして新潟のメーカーでニットにしています。商品には一つ一つにシリアルナンバーが付いています。

(栽培した綿で服づくり/楠戸俊宣さん)
「大きなことを言えば、世界で1枚しかない。もらった人は、僕がもらったら、シリアルナンバー付いてたらうれしいと思う。世界に1枚しかないと思ったら」

 楠戸さんは商品をインターネット通販などで販売していて、誰に渡ったかを手書きでノートに残しています。

(栽培した綿で服づくり/楠戸俊宣さん)
「人にお願いするほどの量もないし、貧乏性だから自分で責任を持たないと安心できない」

 楠戸さんはこれまでに子ども服約360着を県内の病院や児童相談所に寄付しました。

(栽培した綿で服づくり/楠戸俊宣さん)
「一番最初は隣の畑で作ったので、出来たセーターや産着を孫が着て、これ以上痛快なことはないし、あとはみんなが喜んでくれればと思って寄付している」

 楠戸さんは今後、大人用の服も販売しようと準備を進めています。

 2023年4月に開かれるG7倉敷労働雇用大臣会合で、倉敷の繊維産業をPRするきっかけになればと話しています。

(栽培した綿で服づくり/楠戸俊宣さん)
「会場がアイビースクエア、クラボウ(倉敷紡績)の本体。紡績もクラボウの関連会社でしているので、できたら2日間のうちに1日でも誰か着てほしい」

 「繊維産業のまち倉敷」の物語はこれからも続いていきます。

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