プロ野球界で多くの功績を残し、2023年5月に90歳で亡くなった高松第一高校出身の中西太さんをしのぶ追悼セレモニーとお別れの会が3日、高松市で開かれました。
追悼セレモニーには香川県の池田知事や高松一高野球部のOBら約80人が参加しました。
(高松一高野球部OB会 会長/伊藤良春 三木町長)
「(私の)高校時代には大量にボールを送ってきてくれたり、ごちそうをしてくれたり、いつも母校を忘れない偉大な存在で身近な方でもありました」
中西さんは1952年に高松一高から西鉄ライオンズに入団し、新人王や5回の本塁打王を獲得しベストナインにも7回選ばれるなど活躍。その強打者ぶりから「怪童」と呼ばれました。
1963年には選手兼監督としてチームをリーグ優勝に導くなど、監督や指導者としても球界に貢献し、野球殿堂入りも果たしました。
(中西太さん[当時89歳])
「一生懸命やってたら誰かが困った時には助けてくれる。先輩の言葉として伝えたいな」
2022年11月にKSBがインタビューした時には、記者に対して冗談を言うなど気さくな人柄が印象的でした。
3日は一般用の献花台も設けられ、母校の後輩らが花を手向けました。中西さんのおいも献花に訪れました。
(中西太さんのおい/廣瀬 英治さん[76])
「学生時代、世話にばっかりなって。(中西さんが)『(自分の)ブレザー着るか?』って。(着たら)肩が落ちて。やっぱりプロの選手は(体格も)すごいです。元気で最期の方までいって、(今ごろ)にこにこしているでしょう」
3日午後5時からは関係者約200人が出席して「お別れの会」が開かれました。
ヤクルトの選手時代に中西さんから指導を受け、2023年のWBCで日本代表の監督を務めた栗山英樹さんも訪れました。
(日本代表 元監督/栗山英樹さん お別れのあいさつ)
「最高の選手でありながらこれだけ多くの人をつくり愛されたおやっさん。同じ時を生きることができたことこれ以上幸せなことはありません。おやっさんありがとうございます、これからもどうかよろしくお願いします」
(日本代表 元監督/栗山英樹さん)
「今の野球界のベースを中西さんの『打つ技術』が作ってる。本当に野球界にとって大事なので、『なんでお前なんじゃ』とおやっさんに怒られていると思いますけど。全ての選手たちに何とかしようとしてくれた指導者でもあったので、我々はおやっさんの思いを次の世代に伝えなければいけないので、しっかりと伝えていきますと」