西日本豪雨からまもなく6年です。倉敷市真備地区で被災した住民の中には、2024年起きた能登半島地震の被災地を訪れ、支援活動をした人もいます。支えられる側から支える側へ。その思いとは――。
6月28日、倉敷市真備地区の公民館では、地域の人たちが月に1度の防災の勉強会をしていました。
(勉強会/出井徹さん[47])
「能登の災害はたぶん5年では片付かないと思う」
その中で報告されたのが能登半島地震で被害を受けた石川県七尾市でのボランティア活動です。
2024年4月、真備地区の住民ら約10人は七尾市の商店街で開かれた「復興マルシェ」に出店。企業や団体から提供された雑貨やお菓子などを販売し、売上金の全額13万円ほどを寄付しました。
(七尾市での「復興マルシェ」に参加/水川忠久さん[77])
「子どもさんたちが笑顔で楽しくなってくれれば、一番うれしいという気持ちがあった。やっぱり元気がないとね。夢を持たなくちゃ」
穂井田蒼さんは、被災地同士でつながりたいと「復興マルシェ」に参加しました。
(七尾市での「復興マルシェ」に参加/穂井田蒼さん[23])
「1人でできることは限られているので。能登のボランティアもそのひとつ。(自分に)何ができるか模索しているところです」
出井徹さんは、西日本豪雨のときボランティアとして真備地区で活動し、その縁で倉敷市に移住しました。かつての経験を別の被災地で生かそうと復興マルシェに参加しました。
(七尾市での「復興マルシェ」に参加/出井徹さん[47])
「僕は真備で初めてボランティアになった。ここで培ったことをどこかで(生かそうと)。ここ(真備)への恩返しにもなるかなと。真備町も被災した地域なので、被災した地域からの声を届けてあげることによって、何か向こう(能登)で皆さんの力になることがあればと思って」
竹を使った物作りが趣味だという真備町下二万の守屋晶次さん(74)。守屋さんの自宅は西日本豪雨で水が押し寄せ全壊しました。
(西日本豪雨で被災/守屋晶次さん[74])
「涙がちょちょ切れました。2階にいて、胸まで(水が)来ました。ボランティアの方が来られて、汗びっしょりでやってもらって……。自分も恩返しをしたいというのがまずあります」
守屋さんは、復興マルシェに直接参加することはできませんでしたが、竹馬や竹笛を作り、被災地の子どもたちに届けました。
子どもたちに木の味わいを感じてほしいと、竹馬の「足のせ」部分をバーナーであぶるなど心を込めて作りました。
(西日本豪雨で被災/守屋晶次さん[74])
「夜なべして作りました。(能登の)子どもたちに喜んでもらえたなら幸いです」
西日本豪雨で多くの人に支えられたと話す真備地区の人たち。「今度は自分たちが」。そんな気持ちがそこにはありました。