岡山県瀬戸内市の国立ハンセン病療養所「長島愛生園」で、半世紀以上にわたって絵を描き続けている88歳の入所者がいます。2025年12月、岡山県奈義町の美術館で大規模な作品展が行われることになり、学芸員らが準備を進めています。
三畳一間ほどの小さな部屋に充満する油絵の具の匂い。使い込んだ筆やパレット、表面が盛り上がるほど塗り重ねたキャンバスが、長い年月を物語ります。
アトリエの主は「山本一雄」さん。瀬戸内市の国立ハンセン病療養所「長島愛生園」で、88歳になったいまも絵を描き続けています。
2024年6月、奈義町現代美術館の岸本和明館長と学芸員の遠山健一朗さんが長島愛生園を訪れ、入所者である山本さんの作品展を開催したいと申し出ました。
(奈義町現代美術館 学芸員/遠山健一朗さん)
「山本さんのアトリエを見せていただいた時に『これはすごいエネルギーのある場所だ』と。ハンセン病療養所の入所者というよりは『1人の画家』として展覧会ができたら」
2024年5月に岡山市のギャラリーで開かれた山本さんの個展。十数点ほどの展示でしたが、遠山さんは作品に強くひかれ、アトリエを訪ねたそうです。
(長島愛生園歴史館 学芸員/木下浩さん)
「山本さんから、『ぜひ展覧会をお願いしたい』ということを聞いています」
作品展の開催に前向きだという山本さんですが……
(長島愛生園/山本典良 園長)
「(山本さんは)非常に顔が出るのを拒んでいる感じです。家族に遠慮されている」
(長島愛生園歴史館 学芸員/木下浩さん)
「自分の名前や顔も出して、『ハンセン病療養所の入所者』としてではなく、ちゃんとした展覧会ができると本当はそれが『世の中の差別や偏見がなくなるという第一歩』になるかと思うが、山本さん自身の気持ちの整理もできていないし、そこは非常に遠い道のりだと思います」
(長島愛生園/山本典良 園長)
「これをきっかけに山本さんの気持ちがちょっとやわらいで、本人が作品と一緒に里帰りできる、それに向けての第一歩になればありがたい」
1971年、35歳で長島愛生園に入所した山本さん。病気が治ったあとも、後遺症の治療のために療養所で生活を続けてきました。「山本一雄」は本名ではなく、身元を伏せるために用いた仮の名前「園名」です。
ハンセン病は感染力が非常に弱く、当時は薬で完治する病気になっていましたが、国が進めた強制隔離政策によって、いわれのない差別や偏見が根強く残っていました。
入所から50年以上……山本さんは離れて暮らす家族を気遣っていまも園名を名乗り、画家として公の場に姿を見せることはありません。
(奈義町現代美術館 学芸員/遠山健一朗さん)
「うちの美術館が那岐山のふもとにある美術館なんです。作品が素晴らしいので、いろんな人に見ていただきたい」
(山本一雄さん)
「うれしいわ。そりゃありがたい」
穏やかで、気さくな人柄の山本さん。作品展の開催を改めて聞くと「うれしい」という言葉を何度も口にしていました。
山本さんがこれまで描いた油彩画は200点以上。近くで見ると細い筆でいくつもの色を重ねて緻密に描き込んでいることが分かります。
絵の中に繰り返し出てくるのは、生まれ育った岡山県北の風景。雪景色や枯れ木など、寂しげな雰囲気が漂う中にぽつんとたたずむ後ろ姿は、山本さん自身を表しているといいます。
山本さんは40歳ごろから現在まで公募展に出品を続け、県内最大規模の「岡山県美術展覧会」で何度も入選を果たしています。
(奈義町現代美術館 学芸員/遠山健一朗さん)
「たぶん山本さんにとって県展というのが『社会と長島愛生園をつなぐ窓』みたいなところがあると思っていて、どこかで社会とつながりたい、社会に評価されたいという思いがあると思うので、そういう意味では美術館で展覧会をすることは純粋にうれしいのだと感じた。選び取っているモチーフがどうしても悲しさや寂しさを連想してしまう。でも山本さんに聞いたら、好きだから描いているとしか言わないので、本当のところは分からないけど、山本さんの生きてきた人生や時間を想像してしまう」
松本清張の小説を原作にした映画「砂の器」をモチーフにしたシリーズ作品。ハンセン病に対する差別や偏見をテーマにした物語に感銘を受けたそうです。
作品の中に複雑な心情が見え隠れする一方で、山本さんはいつも「絵を描く喜び」を口にしているといいます。
(長島愛生園歴史館 職員/長島幸枝さん)
「『とにかく絵が好きなんだ』と言われて、描くことが好きなので毎日毎日描いても飽きないんだと言われます。展覧会を開けば全く知らない人も見てくださるので、すごくうれしいみたいです」
山本さんにとって、人生で初めての大規模な作品展。奈義町現代美術館では12月から2026年3月にかけて約40点の作品を展示する予定です。
企画展に合わせて、山本さんの作品集の制作も進めている遠山さん。ハンセン病問題という背景をふまえながら、山本さんの「画家としての魅力」を知ってほしいという思いが強いと話します。
(奈義町現代美術館 学芸員/遠山健一朗さん)
「今まで描いたすべてのモチーフが1つの絵画に混在となった、これはオリジナリティとしかいいようがない絵を近年は描きあげられていて、今になって成熟度の高いオリジナルな作品を作っているところは山本さんの画家としておもしろいところ。やっぱり山本さんに自分の展覧会を見てほしいし、お客さんが感想を言っているところを山本さんに見てほしいし、もっと言えばお客さんが山本さんと話して感想を直接伝えるような、最終目標はそういう展覧会になればいい」