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岡山空襲から80年 戦時中の岡山描く「かつての軍国少年」のスケッチブック

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 岡山空襲からまもなく80年です。岡山市の文学館では、地元ゆかりの作家が手掛けた戦争に焦点を当てた作品などを紹介しています。その中には戦時中、岡山で少年時代を過ごしたある男性のスケッチブックも展示されています。

 コミカルなイラストが描かれたスケッチブック。備前市出身の作家、小手鞠るいさんの父、現在93歳の川瀧喜正さんが描いたものです。

 自らを「まじめな軍国少年」だったと語る川瀧さんは、1944年、12歳の時に岡山市中心部の岡山県第一工業学校に入学しました。その頃、学校にも戦争の足音が近づいていました。

 そして、1945年6月29日未明。岡山市は、138機のBー29による大規模な空襲を受け、市街地の6割以上が焼失。少なくとも1737人が死亡しました。川瀧さんが通っていた学校は跡形もなく焼け落ちました。

 さらに1カ月後……川瀧さんは通学中、列車に乗っていたところ銃撃を受けました。

(吉備路文学館/佐古健太朗 学芸員)
「(山陽線の)東岡山から岡山に移動中に、アメリカ軍の戦闘機によって機銃掃射に遭遇した場面。ダダダダーンという音、窓の外から飛行機の操縦士の顔が見えるくらいだったと書かれていますので、それくらい切迫した状況だった」

 泥まみれになりながら水田の中を逃げ回り、九死に一生を得ました。

 川瀧さんの娘の小手鞠るいさんは、「10代の子どもたちに、戦争を擬似体験してほしい」と考え、このスケッチブックをもとに2023年、児童書を出版しました。

 本には、川瀧さんが1945年8月15日に玉音放送を聞いた時の気持ちが書かれています。

「この戦争は、なんだったんだろう。この長い長い戦争は。僕らは、なんのために戦ってきたんだろう。むなしい。ひたすら、むなしい。だが、むなしいだけでもない。馬鹿馬鹿しい。いや、それだけではない。滑稽だ。そう、これは滑稽な戦争だったのかもしれない。むなしくて、馬鹿馬鹿しくて、滑稽な戦争は、しかし何はともあれ、終わった。自分の体からすっぽりと、魂が抜け落ちたような状態だった」

 その後、川瀧さんは一時左派の思想にのめり込み、過激な活動にも参加したそうです。

 川瀧さんについて、娘の小手鞠さんは「人生の中で、もっとも無邪気で、もっとも楽しく、もっとも人々の愛情に包まれているべき1歳から15歳までを,戦争によって、無茶苦茶にされた少年。この傷・闇は、生涯、消えることはない。それが父だとわたしは思っています」と話します。

 また、小手鞠さんは戦争について、「8月になるたびに『平和を祈りましょう』と叫んでいる日本は、とても生ぬるいと思います。戦争の本当の姿、経済的からくり、それぞれの国々の利権などをふまえた戦争の正しい教え方が望まれます。その上で、祈るだけでは何も解決できない、『平和のために行動しましょう』というレベルにまで、意識を持ち上げていけるのではないかと思います」とコメントしています。

 企画展「吉備路の作家たちが見た戦争」では、岡山空襲を体験したり、岡山に疎開したりした24人の作家の作品などを紹介しています。9月15日まで吉備路文学館で開かれています。

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