1945年6月の岡山空襲を体験した5人が、17日、岡山市の小学校で当時の記憶について語りました。
(岡山空襲の体験者/成田昌士さん[88])
「天満屋の前の道、両側が燃えよる。ものすごい勢いで燃えよる。西川なんかは死体が流れよった」
岡山市の三勲小学校が平和学習の一環として、岡山空襲を体験した市内の80代の男性5人を招きました。
最初に、5人を代表して成田昌士さんが、5年生の児童約90人を前に、空襲を受けたときの市街地の様子を語りました。
(岡山空襲の体験者/成田昌士さん)
「岡山市がみな燃えよんじゃから、そこから駅の方を見たら全部燃えよるんやけん」
その後、子どもたちは5つのグループに分かれ、体験者から当時の食事などについて話を聞きました。
(岡山空襲の体験者/古好秀男さん[84])
「ほんまに食べるものがなかったらね、この(スイカの)皮、ものすごくおいしいんですよ。赤い所だけがおいしいんじゃないんよ」
1945年6月29日の岡山空襲では、市街地の6割以上が焼失し、少なくとも1737人が死亡しました。
(児童は―)
「次戦争が起こったら食べ物とかなくなって大変」
「戦争はこれから二度としたくないなって思いました」
(岡山空襲の体験者/成田昌士さん)
「戦争せんように、みんなと仲良くやることがええんじゃないかな」