訪日していたヨルダンのハッサン・ビン・タラール王子がANNのインタビューに応じました。戦闘が続くパレスチナのガザ地区や歴史から見た日本とヨルダンの関係、皇室との関わりなど、幅広い分野について話しています。
(Q.イスラエルがUNRWA=国連パレスチナ難民救済事業機関の国内での活動を禁止したが、このことについてどう考えますか?)
ハッサン・ビン・タラール王子 「UNRWAはガザの住民や世界中の難民の生存権を保障する組織だ。UNRWAは水、エネルギー、教育など必要不可欠なサービスを提供している。(活動禁止が)ガザへの影響は非常に大きい。しかし、教育制度の面でイスラエルはUNRWAの教育プログラムをテロ組織と結び付け、排除している。活動はそこで止まってしまった。UNRWAは国連パレスチナ特別委員会により1947年に設置された。救済事業が主な目的だ。国際社会がUNRWAを変えたいというのであれば、どこが引き継ぐのかという問題が出てくる。誰が資金を拠出するのか、イスラエル政府が直接、パレスチナ人を救済するのか。莫大(ばくだい)なコストを誰が負担するのか」
(Q.日本はヨルダン川西岸のパレスチナ人も援助しているが、日本や国際社会には何ができると考えるか?)
ハッサン・ビン・タラール王子 「戦後復興という意味で、日本はお手本になる。日本は軍拡や大量破壊兵器を非難してきた。世界中に大量破壊兵器が存在するこの時代において、地域政治、気候変動、極右・極左の台頭といった問題がある。しかし、1万7000人もの子どもたちが殺されたという基本的な事実から目をそらされているのだ。この戦争は、テロとの戦争ではなく、多くの子どもが犠牲になっている戦争だ。農業への影響として、衛星写真にも写っているが、ガザの農地は徐々に破壊されている。1年前と見比べてみれば分かる。まるで焦土作戦の後のようだ。下水設備などの基盤インフラの整備も不十分だ。ガザの農業と食料安全保障に未来はない。地域が必要としているのは、復興開発計画だ。UNRWAのような組織が各国政府と協力しながら住民がただ誰かに従い続けるのではなく、市民になれるような力を持つことが必要だ」
(Q.日本とヨルダンの歴史の共通性を感じたことはあったか?)
ハッサン・ビン・タラール王子 「共通性は多い。かつて日本や中国に向かった貿易商は、マラッカ海峡を越えて中東地域にも立ち寄るが、マラッカという言葉には、アラビア語で“出会い”という意味がある。貿易商たちはユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒たちのアラブ文化を東方に伝えた。彼らは剣を携え中東を訪れたのではない。取引のために当地を訪れ、思想や知識を交換した。こうした相互の関わりは日本の茶会にも通じている。人間国宝の方が茶をたて、それを若い世代が観察する。よく似ている。我々にとっても歴史は大切だ。香辛料ロード、シルクロード、巡礼路があった。そろそろ思想の通り道を開拓する時なのかもしれない。旅先で眺めるだけがツーリズムではない。現地での交流も重要だ。その役割を若い世代が担っている」
(Q.これまで何度も来日されていると思うが、一番印象に残った場所は?) (Q.初来日の頃と何が変わったか?)
ハッサン・ビン・タラール王子 「最初に訪れたとき、日本は昭和の時代で、天皇陛下にお会いするという大変な栄誉にあずかった。陛下は紅海のヒドロゾアという海洋生物に興味を持たれていたので、紅海の海洋生物のサンプルをお持ちした。陛下と理解し合えたのは、当時、私がダイビングをしていたこともあったと思う。大学の教授たちと海洋生物のサンプルを採集して、贈呈させていただいたが、皇室の研究室や図書館に今も所蔵されているはずだ。弟の三笠宮殿下との思い出もある。殿下はメソポタミア考古学、バビロニア考古学に尽力された。素晴らしいお方たちだった。お二人との出会いが、日本とヨルダンの関係に私が関わり続けるきっかけになったことは間違いない」
(Q.ヨルダン王室と日本の皇室との交流が盛んに行われているが、王室や皇室が主導する外交の意義とは?)
ハッサン・ビン・タラール王子 「政策と政治とおっしゃったが、王室は政策や政治を超えたところにある。それは国民の結束や文化の象徴でもある。王室について言えば、シリアやイラクにかつて王国があったように、近代史においても、サウジアラビアにはヒジャーズ王国があった。王室は、中東地域の人々の繁栄にすべてを捧げている。日本の皇室も中世、近代以降、若い世代に元気を与え続けていると思う」