あの日から2年が経ちました。前例のない最大震度7の強い揺れが2回観測された熊本地震では、関連死を含め、熊本・大分で267人が亡くなりました。大学時代に南阿蘇村で被災した岡山県総社市出身の男性が、あの日にあわせ被災地を再び訪れ、当時の想いを語りました。
(中村康人リポート) 「熊本地震から2年、追悼の日を迎えました。崩落した阿蘇大橋の向こう側では工事がかなり進んでいるんですが、ここに橋がかかる時間、そして人々の傷が癒える時間はまだまだかかりそうです」
高梁城南高校の講師、前原教志さん(23)。去年春、東海大学を卒業し、熊本地震ではキャンパスがあった南阿蘇村の下宿先で被災しました。
最大震度7の強い揺れが2回観測された熊本地震。本震で、南阿蘇村は甚大な被害を受けました。村で暮らす下宿生が多く建物の倒壊などで、学生3人が亡くなりました。
(高梁城南高校/前原教志 さん 23歳) 「自分のベッドが2メートルぐらいずれてて、とりあえずすぐに出なきゃっていうので、もう、揺れ自体は(寝てて)覚えてないですね」 「あんまり変わらないなぁ、(遠いなぁ…)ここ渡りよったもんな、毎日」
前原さんが住んでいた黒川地区は、当時、50軒あまりの下宿先がありましたが、看板だけが当時の記憶を呼び起こすことができます。
今年から2年生の担任となり忙しくなった前原さん。第2のふるさとである南阿蘇村を訪れるか決めかねていました。
(高梁城南高校/前原教志 さん 23歳) 「自分が岡山に戻って、帰ってたとしても、やっぱりここで4年間暮らしたたことは忘れないですし」
節目だからこそ多くの人と接したいという思いが、前原さんを南阿蘇に誘いました。 去年、下宿先を訪れたときは、1棟だけを残して、他はもう見る影もありませんでした。
(高梁城南高校/前原教志 さん 23歳) 「建物があったときは、まず、ここに1棟、10人分ぐらいの部屋が、1階平屋があって、そっちにももう1棟、同じ大きさの建物があって、自分の部屋がそこに…」
しかし、今年は完成したばかりの倉庫と一緒に出迎えてくれました。
(高梁城南高校/前原教志 さん 23歳) 「自分としてもこの熊本地震のことを忘れたくないって思いもあって…思い出すことも目的で戻ってきました」
前原さんの同級生、脇志朋弥さんはこの場所で、命を落としました。同じ教員を目指しながら、志半ばで逝ってしまった彼女と語る大切な場所です。
(高梁城南高校/前原教志 さん 23歳) 「笑顔が多くて、生徒になつかれるいい先生になってたと思います。自分だけ生き残って今、教員してますけど…脇さんのかなえられなかった夢の分も自分が…」
教壇に立って1年あまり。被災者として、そして先生として、前原さんはこれからも語り続けます。
(高梁城南高校/前原教志 さん 23歳) 「防災に対する意識は岡山は低いと思うんで、伝えていかなきゃいけないなと思います。自分にしかそこは伝えられないことだと思っているんで」