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ベルリン五輪に猪熊弦一郎が参加していた! かつてオリンピックには「芸術競技」が

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 連日、東京オリンピックの競技が行われていますが、80年以上前のオリンピックの話題をお伝えします。
 高松市出身で日本を代表する洋画家・猪熊弦一郎が、1936年のベルリンオリンピックに参加していたことが分かりました。その競技は「芸術」です。

 かつてオリンピックには「芸術競技」という種目がありました。

 今から100年以上前、1912年のストックホルムオリンピックから1948年のロンドンオリンピックまで、合わせて7つの大会で正式競技として行われました。

 日本は1932年のロサンゼルオリンピックと1936年のベルリンオリンピックの2大会に参加しています。

 作家の佐々木良さんは日本が参加したオリンピックについて研究しています。

(作家/佐々木良さん)
「オリンピックという競技をやることは美しさを求められる。1912年大会の時にクーベルタン男爵が芸術競技をやりたいということで復活した競技。1936年大会に猪熊弦一郎が出品していた」

 1902年に高松市に生まれた猪熊弦一郎は東京芸大・洋画科を中退フランスにわたり、アンリ・マティスの指導を受けました。

 白地に赤のデザインで有名な三越の包装紙を手がけるなど、常に新しいものに挑戦し続けた猪熊がオリンピックの「芸術競技」に参加したのは30歳過ぎです。

 しかし現在、当時の作品は残っていません。それでも当時の作品などを集めた冊子が丸亀市の猪熊弦一郎現代美術館に保存されていました。

 ベルリンオリンピックに出品した作品は版画とみられ、「射的」というタイトルがついています。

(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館/学芸員 吉澤博之さん)
「芸術競技は第8回から、日本は10回、11回と参加している。当館に残されている資料から確認できます」

 この作品の下絵とみられるデッサン画も見つかりました。

(丸亀市猪熊弦一郎現代美術館/学芸員 吉澤博之さん)
「猪熊が所蔵していた数多くあるデッサンのうちの1枚、版画作品の下絵となったものと思われます。サインや年代は入っていませんが」

 猪熊弦一郎が参加したこの「芸術競技」には、のちに広く知られるようになる芸術家たちも名を連ねています。昭和の時代に活躍した洋画家・小磯良平。坂出市にも美術館がある日本画家・東山魁夷。版画家として有名な棟方志功の名前も確認することができます。

(作家/佐々木良さん)
「オリンピックはアマチュアが参加する20代後半から30代前半の若い芸術家が出品している。銃を撃つ射撃の絵なんですけど小磯良平の相撲の絵などオリンピック会場で世界各国の国がどんなスポーツをやっているか作品として見えるのも芸術競技のひとつのポイント」

 「芸術競技」にも金・銀・銅とメダルがあったそうです。

 猪熊弦一郎の作品はメダルを取ることができませんでしたが、次のオリンピックでの審査員の依頼につながりました。幻となった1940年の東京オリンピックの組織委員会会長の徳川家達からの手紙も美術館で見つかりました。

(作家/佐々木良さん)
「オリンピックに参加した人が次の大会で審査員として選ばれることはなかなかない。瀬戸内の作家がオリンピックに関わっていたことが面白い」

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