太平洋戦争の時代、旧陸軍が体質改善などを目的に開発していた薬剤「虹波(こうは)」。熊本のハンセン病療養所では戦時中から戦後にかけて入所者を対象に臨床試験が行われ、激しい副作用が起きたり、死者が出たりしたことが報告されています。
そして、高松市のハンセン病療養所でも臨床試験が行われていたという記録が残っています。13歳のころ、虹波の錠剤を飲んだという入所者に話を聞きました。
(虹波の錠剤を飲んだ大島青松園入所者/松本常二さん)
「私たちは虹波の反応が出ると、(医師は)『反応のない薬は効きはせん、反応があるから効くんだ』と言って」
1942年、10歳で大島青松園に入所した松本常二さん(92)。戦時中の1943年から44年にかけて、半年ほど「虹波」の錠剤を飲まされ、高熱や神経痛に苦しんだりハンセン病の症状が悪化したりしたことがあったといいます。
(虹波の錠剤を飲んだ大島青松園入所者/松本常二さん)
「病気が騒いだり、痛んだりするもんだから、吐き出して玄関に捨てていたんです。(医師らが)それを見て今度は『舌を上げてみなさい、下に隠さないように』。飲み込むまで飲まされて、そういう強制的な、本当に恐ろしい時代でした」
1947年に出た皮膚科の専門雑誌に大島青松園で患者180人に行った臨床試験のことが記されています。「臨床的効果は少なかった」「副作用が多かった」などとする一方で、「虹波はハンセン病に対して今後大いに研究されるべきもの」だとしています。
(虹波の錠剤を飲んだ大島青松園入所者/松本常二さん)
「人間のモルモット。うまく利用されたと思って。弱い者いじめで」
熊本のハンセン病療養所「菊池恵楓園」には、今も虹波が残されています。園が、保管していた戦時中から戦後にかけての資料を調査したところ、少なくとも472人に臨床試験が行われ、死亡した9人のうち2人に虹波が影響した疑いがあったと分かりました。
大島青松園入所者自治会の森和男会長は……。
(大島青松園入所者自治会/森和男 会長)
「(医者は)病気をよくしようとしてやったんだろうけど、十分な治験もしないでいきなりやってしまうから、これは人体実験やね。虹波の場合は明らか、軍の力で無理やりやらされた。(臨床試験が行われた)昭和18年は軍の言うことは絶対。その下に園長がいて、それもまた絶対、子どもはおとなしくて、反抗しなくて従順だから、医者としてはやりやすかったんでしょう。歴史の暗黒の部分だからそのままにしておくわけにはいかない。できるだけ明らかにしてもらえたらいいと思う」