2024年のノーベル平和賞に日本被団協、日本原水爆被害者団体協議会が選ばれました。最年少被爆者が思う、受賞の意味とは。
(被爆者[坂出市在住]/好井敏彦さん)
「『良かったなぁ』っていうけど、それまで『降りていった人(亡くなった人)』が浮かんでくる、全部。肩をたたいていった人が……言いようがないよね。喜びも変な喜びだね」
坂出市の好井敏彦さんは79年前の広島で被爆しました。被爆当時はまだ母親のお腹の中。被爆者の中でも最も若い「胎内被爆者」です。
(被爆者[坂出市在住]/好井敏彦さん)
「たくさんの死を見てきてその人たちの代わりに言わなくちゃいけない。私は命があるから……と。俺は両親とも被爆しているし、ずっと見て育っているし」
ジャズピアニストでもある好井さんは被爆したピアノ、通称「被爆ピアノ」を通した活動を続けてきました。
2017年にアイキャン・核兵器廃絶国際キャンペーンがノーベル平和賞を受賞した時には、授賞式が行われるノルウェーのオスロを訪れました。
(被爆者[坂出市在住]/好井敏彦さん)
「7年前にアイキャンで行ったときにピースボートとか寄せ集めた形ではあるんだけど、大きなうねりではあったんだよ。ノーベル賞が出てそこに行って、ピアノを弾いている。結局そのために生まれてきて、ピアノを弾いているんだなと俺自身しか分からないけど俺はそう思った」
その7年後にノーベル平和賞を受賞した「日本被団協」。その意味について、好井さんは……
(被爆者[坂出市在住]/好井敏彦さん)
「『立ち止まれよ』という言葉じゃないかなと。みんな考えるじゃない。毎日のように新聞で『何人殺した』『何が飛んできた』と出る。そこに『ものすごくやられた者(被爆者)』の言葉が世界に。やっぱりノーベル賞は『ちょっと待て』と言ってくれたんじゃないかな。僕はそういうふうに思った」
一方、今回の受賞だけで「世界は変わらない」と厳しい見方をしています。
(被爆者[坂出市在住]/好井敏彦さん)
「変われるものだったらとっくに変わっているはずだから……で……いろんなものを作ってきたでしょ。これからも作るよ。文句言われながらも」
「最年少被爆者」と言えど現在78歳。これからの自身の活動については……
(被爆者[坂出市在住]/好井敏彦さん)
「全部言ってきた、やってきた。『後に任す』って言って……後がいないんだから。ということは結局、『みんなが声を上げ続けてきた』ということが残ったらいいなと。いろんな活動したよ、みんな。
自分のできることはどんどん限られてきて、最後に息ができなくなるぐらいだから自分自身であと何ができるかと言われたら分からない。『これからどうしますか?』じゃなくて、こういう人(被爆者)がいて、頑張ってきたから今まで核を使っていないじゃない。日本の長崎・広島の2つで終わりで70年・80年使っていないじゃないか…というのが答えじゃないか」