1945年、横浜市にアメリカ軍が焼夷弾(しょういだん)を投下した「横浜大空襲」から80年です。当時、市内にいた被災者が体験を語りました。
1945年5月29日の午前9時20分ごろ、517機のアメリカ軍の爆撃機B29が横浜市中区などを爆撃しました。
爆撃は1時間程度続き、およそ44万個の焼夷弾を投下しました。
神奈川県警によりますと、この爆撃による死者は3650人、重軽傷を合わせた負傷者は1万人以上に上りました。
爆撃から80年が経った29日、横浜大空襲の記憶を語り継ぐための会が開かれました。
当時、市内で被害に遭った芦沢康江さん(93)と鈴木康弘さん(93)が語り部となり、当時の体験を語りました。
芦沢さんは現在住んでいる大和市でも、子どもたちに戦争の記憶を残す語り部として定期的に活動しています。
芦沢康江さん 「空襲になって逃げるときには、横浜から流れてくる人間が列をつくって、何万人というくらい歩いてくるんです。子どもたちにこういうふうにならないように『皆、戦争をしちゃだめなのよ。戦争は大変なのよ、戦争は怖いよ、皆死んじゃうんだよ』いろんなこと言いながら、子どもに分かってもらっています」
会を主催する市民団体「横浜の空襲を記録する会」は、戦争の悲惨さを語り継ぎ、平和の発展に貢献したいとしています。