高松市南部の「円座地区」。「円座」という名前は「菅(すげ)」という植物を編んで作った敷物「讃岐菅円座」を作る職人が住んでいたことが由来です。夏は冷たく、冬はあたたかく、古くは朝廷でも重宝されていました。
現在、円座地区で「菅円座」を作ることができるのはたった1人で、材料の「菅」の確保が難しいことから将来的に作れなくなると言われています。
そんな中、地域の伝統文化を新しい形で後世に残そうとする女性がいます。
特注の焼き型で作ったのは「讃岐菅円座」の形をした、名付けて「円座焼き」です。タピオカ粉を使ったもちもちの生地の中にはあんこが入っています。
この「円座焼き」を試作しているのは、高松市の円座地区に住む杉本美智子さん(54)です。
(杉本美智子さん)
「今これ(円座)をざぶとんで使うかと言ったら、お茶とか以外で多分使わない。今はもう安価でいいものがいっぱいあるから、そう流通するものじゃないなと思ったから、皆が知るところまでには行かないと思った」
「讃岐菅円座」作りの技法は、高松松平藩の初代藩主・頼重により一子相伝、門外不出とされていましたが、1952年に作り手が亡くなり、その技法は途絶えました。
平成になると、地元の有志がその技法を解明しよみがえらせます。
しかし、現在「菅円座」を作ることができるのは、円座地区に住む82歳の川口峰夫さんたった1人です。更に、材料となる「菅」の栽培や確保が難しいということです。
(川口峰夫さん)
「残しとかないといけないけど、材料がなくなったし、2、3年したら材料がなくなるから、作るのは途絶えてしまうと思う」
杉本さんは、伝統文化の「菅円座」を食べ物として後世に伝えたいと2022年3月、高校教師を退職しました。そして、新たに介護の仕事をしながら「円座焼き」作りを研究しました。
(杉本美智子さん)
「讃岐のために、こんなに工芸品とか根付かせたい・いい場所にしたいって尽力された方がすごくいるっていうのを、その思いを、感動して私も何かしたいなって思うようになった」
杉本さんは、焼き型をつくるため、川口さんにたくさんのアドバイスをもらったそうです。
ちなみに焼き型は約25万円かかったそうです。
「円座焼き」を販売するために杉本さんが次に購入したもの。約200万円のキッチンカーです。
(杉本美智子さん)
「ここで焼きます。ここに焼き型のでかいのがあるので」
同時に14個を焼くことができる焼き型は、約50万円かかったそうです。
「円座焼き」の販売価格は決まっていませんが、2月には販売できるよう準備を進めています。