今も被害の全貌がつかみきれていない、岡山県倉敷市真備町。川の堤防はなぜ決壊し、町の広範囲が浸水したのでしょうか。
国土交通省が想定した、倉敷市真備町の小田川の堤防が決壊した時に浸水する区域では、北側を中心に広い範囲が浸水すると想定されています。
今回の豪雨では小田川の北側の堤防2カ所のほか、支流の末政川や高馬川が決壊し、約1200ヘクタールが浸水しました。2つを重ねてみるとほぼ想定どおりの区域が浸水したことが分かります。
堤防はなぜ壊れてしまったのか、河川工学を専門にしている岡山大学の前野詩朗教授は「バックウォーター」と呼ばれる現象が起きたことが、原因ではないかと指摘します。
(岡山大学/前野詩朗 教授) 「小田川が西から東に流れるゆるやかな勾配の川なので、かなり水位の上昇が影響した」
小田川と高梁川の合流地点は湾曲していて、川幅が狭く、水がたまりやすくなっています。行き場を失った大量の水が勾配のゆるい小田川の方へと流れ込み、川の水位が急上昇したことで堤防に大きな負担がかかったとみられます。 その影響は川の上流数キロ以上にまで及んだ可能性があります。
(オカジュウ/片岡公省 代表) 「小田川の流れが悪いというのは、昔から言われていたんですけど、やっと去年ぐらいから予算を取っていただけて工事も何件か発注されて、これから工事に入っていく予定なんですけど」
小田川流域では、1972年と76年に洪水による大きな被害が出ていて、治水が長年の課題でした。国は小田川の流れを人工的に変え、水を逃がす付け替え事業を計画、今年からさ来年にかけて工事を行う予定でした。
(岡山大学/前野詩朗 教授) 「付替え工事が仮に完了してたらここまで大きな水害にはならなかったと考えています」
多くの人的被害が出た今回の浸水。倉敷市は真備町の住民にどのように避難を指示したのか?真備町で浸水した住宅に住む菊池さん夫妻は、このように証言します。
(菊池 豊年さん(75)) 「全然行動取ってないのは私の判断ミスですね、避難すりゃあ車の1台くらいは助かった」
浸水する前の6日午後11時45分、倉敷市は小田川の南側の区域に避難指示を出しましたが、北側には出していませんでした。
北側にある菊池さんの家では、このときすでに浸水が始まっていました。より深刻な被害が出た北側の区域に、避難指示が出たのは、その1時間45分後、7日午前1時半のことです。 明け方の午前4時ごろには、菊池さんの家の2階の目の高さまで浸水していました。
夫妻は屋根に避難し、約12時間後に自衛隊のボートで助けだされました。
(菊池 和子さん(71)) 「本当の非常事態ということをもっと上の人が早く判断してもらえないかねえ、という気はしました」