明治から大正にかけて活躍し「香川県独立の父」と呼ばれた中野武営にまつわる話題です。
中野武営が早稲田大学の創始者としても知られる政治家・大隈重信と並んで撮影された貴重な写真が発見されました。
松平公益会の理事長が写真を発見
江戸時代に讃岐を治めていた高松藩松平家の不動産管理などをしている松平公益会。
理事長の佐伯勉さんが、資料を整理していた時に発見したのがこちらの写真です。
(松平公益会/佐伯勉 理事長)
「大隈重信と奥様と、それからこれが(松平家)12代の賴壽夫妻で、武営さんここに」
今回発見された写真は貴重
大隈重信と中野武営が1枚の写真に収められているものは、これまで見つかっていませんでした。
(松平公益会/佐伯勉 理事長)
「松平家が明治以降にいろいろな出来事なり来客が来た時の記録が『松枝写史』という記録のノートがあるんです。その中めくりますとね、大正2年11月に3泊4日でご夫妻で来られたと。目的は早稲田大学の『校友会』、まあOB会みたいなもんですよね、それで来られたというて書かれとるんですよ」
高松松平家の12代当主松平賴壽は東京専門学校、現在の早稲田大学の卒業生です。賴壽の後見人をつとめていた中野武営と大隈重信は、それ以前から深い交流がありました。
中野武営は1881年(明治14年)に大隈重信が党首を務めた立憲改進党に入党。自由民権運動の政治家として活動を始めました。
武営はその後、当時愛媛県に併合されていた香川県の独立に力を尽くします。
香川県独立に向けた働きかけ
(松平公益会/佐伯勉 理事長)
「その年に(大隈重信が)外務大臣になられて、大隈さんの力を借りていろんな仕掛けをして年末には香川県OKという合意をいただいて誕生したと」
香川県の独立は、外務大臣だった大隈重信による中央政府への働きかけがあって成功したともいわれています。
大隈重信はその後総理大臣にもなりますが、2回目の総理になったのはこの写真が撮られたすぐ後でした。
(松平公益会/佐伯勉 理事長)
「外務大臣の1回目の時に香川県誕生。ここへ来られて半年近く後に内閣総理大臣。何か因縁めいたものをちょっと感じますね」
写真はどこで撮影されたのか
この写真が撮影されたのは玉藻公園の「とある場所」です。
(記者リポート)
「高松城の天守台に来ています。中野武営と大隈重信の写真はこの辺りで撮影されたものとみられます」
明治初期に天守閣が取り壊された後、ここには初代高松藩主・松平賴重をまつる玉藻廟がありました。写真はその玉藻廟の入り口で撮影されたものだと分かります。
中野武営はこの写真が撮影されて5年後に、70歳でその生涯を閉じました。大隈重信は友人代表として葬儀に参列し、新聞へも追悼の言葉を寄せるなどしました。
(松平公益会/佐伯勉 理事長)
「ここへ来られた時が大隈重信さんの方が75歳、武営さんが65歳でちょうど10歳違いなんですよね。ですから自分が元気なことから考えると後10年20年は武営さんは生きてくれるだろうと、自分の志の一部は武営さんに託したいという思いは強かったんだと思うんですよ」
新しく見つかった写真は、改めて大隈重信と中野武営の深い交流を示す重要なものだといえそうです。