香川県独立の父と言われる中野武営の珍しい写真が見つかりました。甲冑(かっちゅう)を身に着けた中野武営です。貴重な写真が見つかりましたが、撮影した状況など謎が残ります。
甲冑を身に着けた中野武営の写真。もともと武営の親戚の家にあったもので、その後、香川県立ミュージアムに保管されていましたが、今回、資料の整理をしていて見つかりました。
(香川県立ミュージアム/野村美紀 学芸課長)
「あの写真は高松藩の家老を務めていた牛窪家の資料の中に含まれていたもので、その中のひとつ。今回あらためて調査し、中野武営の写真が含まれていることが分かりました」
中野武営は明治から大正にかけ、地元香川や東京で政治家や実業家として活躍しました。渋沢栄一の後を継いで東京商業会議所(現在の東京商工会議所)の会頭を約13年間も務めるなど渋沢の盟友ともいわれました。
1918年・大正7年に70歳で亡くなりますが、東京の家が震災で全焼したため、写真など本人の資料があまり残っていません。
残っている写真は東京商業会議所時代のものが多く、ほとんどが背広姿です。それだけにこの写真は貴重なものです。
中野武営の銅像設立を目指している中野武営顕彰会は――。
(中野武営顕彰会/佐伯勉 会長)
「これは今までと全くタイプが違う、インパクトがある。うれしいですよね」
写真の裏書によると中野武営が亡くなる4年前の1914年(大正3年)の10月27日に撮影されたとみられています。しかし、撮影されていたのはこの武営の甲冑の写真だけではないのです。
(香川県立ミュージアム/野村美紀 学芸課長)
「同じ日付けで撮影したというふうに書いてある写真が他にも何枚かあって(中野武営以外の人物の写真)、その方たちは神職の衣装を身に着けていたりとか、中国風の衣装を着ていたりさまざまですが、そういう中の一枚なので普段と違う姿で撮影した」
今でいうところの「コスプレ風に」ということでしょうか。確かに良く見ると中野武営の表情が和らいでいる気もします。
撮影した場所も裏書にありました。
(記者リポート)
「高松市の香東川の河原です。中野武営の写真は、この香東川の河原で撮影したものとみられます」
なぜ、どういう状況で撮影したのか。この点はまだ分かっていません。謎が残ります……。
県立ミュージアムでは資料をそろえ解明したいと話しています。
(香川県立ミュージアム/野村美紀 学芸課長)
「見つかっている資料はそんなにまだ多くない。これからいろんな方が今資料を探されたり、情報を集めたりしている。断片的なものを組み合わせることで少し見えてくるものもある」
香川県独立の父・中野武営の研究はこれからも続いていきます。