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「こういう物まで作って戦争した」人間国宝が作った備前焼の手りゅう弾 約460個を寄贈 岡山

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 第2次大戦末期に日本軍の命令で作られた備前焼の手りゅう弾が岡山県などに寄贈されました。

 寄贈された手りゅう弾は、1987年に人間国宝に認定された備前焼作家、山本陶秀さんが第2次大戦中に作ったものです。

 8月2日、陶秀さんの長男で備前焼作家の山本雄一さんが、岡山県と備前市に父親が作った手りゅう弾、約460個などを寄贈しました。

(備前焼作家/山本雄一さん)
「作品ではあるんだけど、気分のいいものではない。戦争に使うものなんでね。(父は)できるだけ見たくないと。売っちゃいかんと」

 第2次大戦末期の1945年、金属が不足していた日本軍は、硬い特徴をもつ備前焼で手りゅう弾を製造するよう陶秀さんら作家や窯元に命じました。

 ロクロの名手と言われた陶秀さんは、ロクロで手りゅう弾を作ったという事です。

(備前焼作家 人間国宝/山本陶秀さん[1988年放送])
「お国のために仕方なしにみんな作ったんですよ。黙って何も言わずにまぁ。(過去の時代の)一番暗い1ページです」

 陶秀さんが作った手りゅう弾が実戦で使われることはなかったということです。

(備前焼作家 人間国宝/山本陶秀さん[1988年放送])
「いい調子に終戦になったからよろしい。こんなものを使わなんで、使ったいうだけでも気分が悪い」

 雄一さんによりますと、陶秀さんは戦後まもなく作った手りゅう弾を自宅の庭に埋めましたが、1988年に掘り出しました。

 手りゅう弾について息子の雄一さんは――。

(備前焼作家/山本雄一さん)
「これがゴーンと当たったら頭割れますよ。見るだけでも怖い感じもしますな。こういう物まで作って戦争したんだということを子どもに教えてあげて。いかにつまらんものか」

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