2025年は被爆80年の節目の年です。16日、高松市で平和と核兵器の廃絶を願う演奏会が開かれました。この演奏会は1人のピアニストにとっての再始動の場でした。
16日に高松市で開かれたのは日本原水爆被害者団体協議会「日本被団協」のノーベル平和賞受賞を祝う演奏会。ピアノを弾いたのは「被爆者」です。
開演の3時間前。
(胎内被爆者/好井敏彦さん)
「ピアノ弾きとしては頭で弾くのではなく指で弾くから……指が今、脳に信号を送ってる」
好井敏彦さん、79歳。80年前、広島に落とされた原爆によって母親のおなかの中で被爆した「胎内被爆者」です。
被爆した両親のもとで育った好井さんは大人になってプロのジャズピアニストとして活動。
そして、60歳を過ぎて「被爆ピアノ」に出会いました。以来平和の大切さを伝えようと国内外でピアノを演奏し、香川県の被爆者団体の代表も務めました。
しかし……
(胎内被爆者/好井敏彦さん)
「(Q.新型コロナで活動が止まりましたね)あの頃は会場貸してくれなかったからね。全然弾いてないんだもん。久しぶり」
年齢もあり以前のような活動はできていませんでしたが、日本被団協のノーベル平和賞受賞をきっかけに再始動を決めました。
(胎内被爆者/好井敏彦さん)
「指が覚えているから……ムズムズするのよ時々。ヨイショがいるけどね」
久しぶりの演奏会には約100人のお客さんが集まりました。
(胎内被爆者/好井敏彦さん)
「きょうの音楽のメニューですね。一応です。皆さん生きてますソング」
母親のおなかの中で被爆し、被爆者として生まれた好井さんは、以前からこの曲をよく弾いていました。
(胎内被爆者/好井敏彦さん)
「自分が生まれたから誕生日がある。周りがお祝いをするでしょ、自分たちも生きているから。これはね、『生きてるソング』と思ってください」
今回、演奏会の会場には1枚の絵が飾られていました。タイトルは「オスロの夜」です。
日本被団協がノーベル平和賞を受賞する7年前。アイキャン・核兵器廃絶国際キャンペーンがノーベル平和賞を受賞した2017年に、好井さんは授賞式が行われるノルウェー・オスロを訪れました。
好井さんはこのオスロのホテルでピアノを弾きました。
(胎内被爆者/好井敏彦さん)
「ウェルカムピアノが置いている。好井さんどうぞ弾いてくださいと」
(胎内被爆者/好井敏彦さん)
「アナウンスが流れたんです。『彼は広島から来た被爆者です』。普通の人はみんなぞろぞろ入るんです。そのアナウンスがあったおかげで立ち止まって拍手があった。よう日本から来たな、被爆者か。被爆者もピアノが弾けるんか。その時に俺はこのために生まれたんじゃないかと思いました。よかったね……。その時に、これがノーベル平和賞か……僕にとってのな」
好井さんにとって久しぶりの演奏会。それは、「音楽の力」を再認識する場でもありました。
(広島県被団協/佐久間邦彦 理事長)
「皆さんの心をつかむのは音楽は一番わかりやすい」
広島から駆けつけた佐久間邦彦さん(80)は好井さんと同じく2017年にオスロを訪れた一人です。
(NPO法人 ルワンダの教育を考える会/永遠瑠マリールイズ 理事長)
「本当に人と人の出会いがどれだけ素晴らしいものか、この会場を見ていて感じます」
福島県を拠点にアフリカ・ルワンダの教育を支援する活動をしている永遠瑠マリールイズさん。ルワンダの小学校でのピアノコンサートをきっかけに好井さんとつながりました。
以来、何度も香川を訪れているマリールイズさん。ときどき歌声も披露しています。
大阪を拠点に作曲家として活動する三木柚穂さん(25)は、小学生のころ好井さんの演奏会でピアノを弾いていました。
他にも音楽をきっかけにつながった人たちが集い、それぞれの音を奏でました。
(広島県被団協/佐久間邦彦 理事長)
「私、被爆者として被爆証言をしますけど。厳しさだけ、苦しさ大変だっただけじゃなくて、みんなと一緒にそんなことにならないように一緒にやらないかと呼びかけることは、こういう運動の大切なところだと思う」
予定の2時間を少しオーバーして終わった演奏会。好井さんに感想を聞いてみると……
(胎内被爆者/好井敏彦さん)
「もう1時間ほしい(笑)。半分もできなかったわ……と思うのは、自分の中で湧いてくるものが自覚でき始めた。こうやってお客さんが来て古い曲をやっているうちにエネルギーがまた充電してくる」
2025年は被爆80年の節目の年。「再充電」した好井さんの活動は……
(胎内被爆者/好井敏彦さん)
「自分ができることをするしか……キリギリスはキリギリスで『スイッチョン』と言わんといかん。それをどうこう言われたってそれしかできません。『いいように解釈してください』というしかない。そのへんのピアニストとはちょいと趣が違うものがあるんじゃないかな、と思ってくれたらいい」