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被爆者減少 惨劇どう後世に… 94歳の被爆者は 広島 原爆投下から80年

社会

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 80回目の原爆の日を迎えた広島。惨劇をどう後世に伝えるか、94歳になった被爆者の男性は今も試行錯誤を続けています。

 過去最多となる120の国と地域が参列した平和記念式典。ロシアや中国が欠席する一方、パレスチナや台湾などが初めて参列、約5万5000人が犠牲者を悼みました。

皆実小学校6年 関口千恵璃さん 「同じ過ちを繰り返さないために、被爆者の声を次の世代へ語り継いでいく使命が私たちにはあります」

 式典をテレビで見る森下弘さん。80年前のあの日を知る被爆者の1人です。

被爆者 森下弘さん 「来年も頑張ろうとは思うけど、それよりも若い人に託していきたい」

 当時14歳の旧制中学3年生だった森下さんは爆心地から約1.5キロの場所で被爆。

被爆者 森下弘さん 「大きな溶鉱炉の中に、すぽーんと投げ込まれたような感じだった」

 突然、閃光が走り、被爆、そして襲われた熱風。顔や手などに大やけどをし、母・芳子さんを失いました。

 部屋を埋め尽くす大量の資料。森下さんが後世に伝えるために集めた、原爆や平和教育に関する資料です。戦後、高校教師として教壇に立ちながら平和活動に身を捧げてきた森下さん。1964年、原爆投下を決断したトルーマン元大統領と面会。その様子も資料として書き残しています。

被爆者 森下弘さん 「トルーマンは『原爆によって多くの兵士の命が犠牲になるのを防いだ』と、『すまない』という表現はなかった」

 当時のメモには激しい怒りがつづられています。

被爆者 森下弘さん 「原爆投下を決定した時に幼い命があることを思い至らなかっただろうかと、皆、激しく憎んでいると、『すまなかった』の一言を言ってもらいたかった」

 2004年にはウクライナとロシアを訪問。チェルノブイリ原発事故の被災者と交流するなど、世界で被爆の体験を伝えてきました。

 森下さんがその生涯をかけて集めてきた大量の資料は、母校・広島大学の文書館などに引き渡されることになりました。

被爆者 森下弘さん 「やっぱりどこかきちんと収めてもらって、色んな形で、いい形で利用できるようになるとありがたい、とても喜んでいます」

 いまだ消えない核の脅威。被爆者なき時代が迫っています。

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