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【特集】母親のおなかの中で被爆して80年 戦後生まれの最年少被爆者たちの今と思い

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 広島に原爆が落とされてから6日で80年。被爆者の平均年齢は86歳を超えました。先輩たちの思いをどうつないでいくのか……。戦後生まれの最も若い被爆者たちが集まりました。

 80年前の8月6日。広島に落とされた原子爆弾によって多くの人が犠牲になりました。そして、多くの人が被爆しました。

 2025年3月時点の被爆者は9万9130人。初めて10万人を下回りました。

 5日に広島市で開かれたのは、母親のおなかの中で被爆した、いわゆる「胎内被爆者」たちの集会です。12年目を迎えた「つどい」には約20人が集まりました。

(胎内被爆者[坂出市在住]/好井敏彦さん[79])
「ここまであったんやけど弾きすぎてちびてちびて……えんぴつがちびるみたいにこんなに小さくなった。(Q.言ってたもんね、よく弾けるって)だから弾き始めたら何か降りてくる」

 香川から参加した好井敏彦さん(79)も胎内被爆者のひとり。同い年のメンバーが集まるこの場は、同窓会のような雰囲気です。

(胎内被爆者/二川一彦さん)
「みんな若いでしょ(笑)年は同じです」

 明るい雰囲気の一方で……

(胎内被爆者/二川一彦さん)
「(Q.来られなくなった人は?)います。常連の人が1人、2人、3人……中にはこの1年で亡くなられた方もおられますし、そういう現実です」

 胎内被爆者は戦後生まれの最も若い被爆者。それでも……みんな79歳です。

(三村正弘さん)
「(Q.好井さんと会うの久しぶり?)久しぶり。体の調子が悪いって言いよったのに、元気になって驚いた」
(好井敏彦さん)
「あしたはわからんよ」
(三村正弘さん)
「良くなったからホッとした。(ちょっと心臓がね)電話した時はすごく弱々しかったからどうなることやらと思ったけど元気になって良かった。やっぱりノーベル賞のおかげやろ」

 「胎内被爆者のつどい」は好井さんと三村さん、2人の呼び掛けから始まりました。

 小学校・中学校の同級生だった2人は2014年に「原爆胎内被爆者全国連絡会」を立ち上げました。そして初めての「胎内被爆者のつどい」を開催しました。

 好井さんはこの連絡会の代表世話人を、三村さんは事務局長を務めています。

(胎内被爆者/濱住治郎さん)
「好井さんが立ち上げてくれて私もすぐに手を挙げて」

 東京に住む濱住治郎さんも被爆80年の節目に「胎内被爆者のつどい」に駆け付けました。濱住さんは2025年6月、被爆者の全国組織、日本被団協の「事務局長」に就任しました。

(胎内被爆者/濱住治郎さん)
「胎内被爆者の方がいろんな形で出てこられて役員に就かれた方もいるので。そういう時代になってきているのかなと思いますね」

 愛媛に住む松浦秀人さんも日本被団協で代表理事を務めています。

(日本被団協 代表理事/松浦 秀人さん)
「もう亡くなった方々を含めて活動してきたこと、語り部活動をしてきたことが評価されたという点では非常にうれしい」

 日本被団協が2024年受賞した「ノーベル平和賞」。その授賞式には松浦さんも出席しました。

 先輩被爆者たちがこれまでつないできたバトンが、最年少被爆者に渡されつつあります。それは決して軽いものではありません。だからこそ、つながりが力になっています。

(胎内被爆者/二川一彦さん)
「これ集まることによって僕らも頑張らないかんなと意識が高まってきますので」

(胎内被爆者/濱住治郎さん)
「こういう仲間のつながりがあるから頑張れるというのはある」

(胎内被爆者/濱住治郎さん)
「きょうはどうしても来たかったのは、松浦さんの発表もあったんですが、好井さんが香川から来るよと言って、好井さんの元気な姿が見られるというのが(ありがとうございます)」

(胎内被爆者[坂出市在住]/好井敏彦さん)
「(Q.これだけ続くっていいですね)そう! ずっとは続かないけどね。みんな80歳が来ているからあと10年か、もったら。でもあの時始めて、動き始めてそれがここまでになったんやからほんまに良かった」

 ジャズピアニストでもある好井さん。「音楽の周りは平和」という考えのもと今も鍵盤をたたいています。

(胎内被爆者[坂出市在住]/好井敏彦さん)
「(Q.手はどうしたの?)これはね、軟骨が出るの。もう職業病。(Q.ピアノを弾いているから?)うん、たたくから。(Q.最近痛くなってきた?)だんだんだんだん痛く……薬を塗ってきょうは痛み止めをしているんだけど」

(胎内被爆者[坂出市在住]/好井敏彦さん)
 「被爆80年。これは節目の年やからちょっと音楽しようかなと思っていた。でも、しんどいわな音楽……ピアノな……そしたらここへ、ノーベル平和賞受賞……と出た。これはやらないかんやろ。だから今年は死に物狂いで、最後にはピアノの横で倒れて死ぬつもりでおります」

 胎内被爆者の連絡会を立ち上げた2014年には19万人余りいた被爆者は2025年、半数ほどに。胎内被爆者も1000人近く少なくなりました。

(胎内被爆者[坂出市在住]/好井敏彦さん)
「いずれ無くなる会を今一生懸命やっているわけ。でもだから意味がある。いずれ無くなる。被爆者もいなくなる。だからやってるんじゃない。あんまり難しいことは……できる範囲でやればいい」

 今、自分たちにできることを……好井さんはピアノを通して被爆者である自分自身を発信しています。

(胎内被爆者[坂出市在住]/好井敏彦さん)
「(Q.最後腕が痛そうにしてましたね)痛いですよ。はれてるもん赤くはれてる。でも……楽しかった。ピアノがあるっていうのが僕の人生ですからね」

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