穏かな瀬戸内海で起きた悲惨な事故から67年です。1955年5月11日、宇野と高松を結んでいた連絡船の「紫雲丸」が高松沖で沈没し、修学旅行中の小中学生を含む168人が亡くなりました。11日、高松市で慰霊祭が開かれました。
(記者)
「多い時は約100人が参列した慰霊祭ですが、67回目の今回は、遺族ら7人の参加となりました」
瀬戸内海を望む高松市の西方寺。紫雲丸の事故で父親や叔父を亡くした遺族らが集まり、鎮魂の祈りをささげました。
事故当時、紫雲丸に乗っていた岡山市の谷脇冨貴さん(81)は、体調面などから2022年の慰霊祭には参加しませんでした。
(紫雲丸事故を経験した谷脇冨貴さん)
「あれより怖いものないんと違う? 地獄いうたらあんなもんと違う?」
1955年5月11日、高松と宇野を結ぶ旧国鉄の連絡船「紫雲丸」は小・中学生ら781人を乗せて高松港を出発しました。当時、高知市の南海中学校の3年生だった谷脇さんは修学旅行の途中で乗り合わせました。
高松港を出て16分後、紫雲丸は女木島の近くで貨物船と衝突し、わずか5分で沈没しました。
(谷脇冨貴さん)
「みんな沈んでいきよんのやから。ほんで下に沈んどる人がなんやかんや掴みよるからそれを振りほどいて、自分も上へ上がらないかん」
小・中学生を含む168人が犠牲になりました。谷脇さんは船に乗っていたアメリカ人宣教師の夫婦に助け出され、一命を取り留めました。
あれから60年以上たった今でも海の事故は絶えません。
2020年11月には坂出市の沖で修学旅行中の小学生52人を含む62人を乗せた船が沈没。亡くなった人はいませんでした。
そして、4月23日には北海道・知床半島沖で観光船が消息を絶ち、これまでに14人の死亡が確認されています。知床のニュースを見た谷脇さんは、67年前の光景を思い出したと言います。
(谷脇冨貴さん)
「海の底におるが、船が。私もあそこいったわ思って。青じゃないねん海は。緑色というか黒というかね、緑に近いわ。初めてこの歳で思い出した。海の底の記憶は」
谷脇さんは、紫雲丸事故で中学校の同級生28人を失いました。
(谷脇冨貴さん)
「ずっと中学卒業してからこの年まで、生きとることがごっつい悪いことしたみたいでね。みんなに責められてる感じするし、『なんで生きちゅー?』って1回言われたことあった」
亡くなった友だちを思い、谷脇さんは四国遍路を4回以上巡りました。
(谷脇冨貴さん)
「思い出せん分だけ88カ所を回ってみたり。ある程度、気持ちはすっとするけど、全部はすっきりせんしね。60年、70年経ってから知床であんな事故があったりね。人間ってそんなとこあるんかな。こんなに機械が発達しとんのにな」