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【特集】「重大な人権侵害」ハンセン病療養所での解剖…その実態は 岡山・瀬戸内市

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 岡山県瀬戸内市の国立ハンセン病療養所「邑久光明園」で、1000人以上の入所者の遺体を解剖した記録が2020年に見つかりました。これらの病理解剖は、適切に行われていたのか? 数々の記録から浮き彫りとなった、その実態とは……。

 瀬戸内市の長島にある国立ハンセン病療養所、邑久光明園。ここに、入所者の男性が描いた1枚の絵が展示されています。

(国立ハンセン病療養所 邑久光明園/太田由加利 学芸員)
「『検体の宵』という題名が付いていますけど、『亡くなった入所者の解剖を今から始めます』という場面の絵になります」

 邑久光明園で1998年まで行われていた、入所者の解剖の様子を描いたものです。

(国立ハンセン病療養所 邑久光明園/太田由加利 学芸員)
「同じ部屋の方が亡くなって、その方の遺品をここまで持って来た時に実際に見た場面ということのようです。『(解剖は)亡くなられたらするものだ』というふうに皆さん思われていたようです。園長の方から『お願いだからやってください』とか、文章を載せたりということはありましたので、園の中の雰囲気としては、やはり解剖するのが当たり前」

亡くなった入所者の約7割の遺体を「解剖」

 2020年、邑久光明園で見つかった「解剖記録」。

 開園した1938年から1998年にかけて亡くなった入所者、1674人の約7割にあたる1184人の遺体が解剖されたことが分かっています。

 記録が残っているのは1123人分です。

 解剖が年間どれぐらいの割合で行われていたかを示したグラフでは、ほとんどの年が50%を超えていて、中にはすべての遺体が解剖された年もありました。

 また、800体を超える臓器などの標本が、2005年まで残っていたことも分かりました。

解剖の実態解明へ…人権擁護委員会が調査

 この実態を明らかにしようと、弁護士などの外部委員と、邑久光明園の園長、入所者ら12人で構成する「人権擁護委員会」は、約2年をかけて、園に残る公文書や文献の調査、関係者への聞き取りなどを行いました。

(人権擁護委員会 委員長/近藤剛 弁護士)
「国の隔離政策のもとで、患者さんの人権が軽んじられてきた、園の方針で、自由に解剖が行われる、あるいはそれを受け入れざるを得ないような状況にあったのではないか」

 「ハンセン病」は「らい菌」に感染することで末梢神経が侵され、知覚がまひする病気です。

 その感染力は非常に弱く、戦後には治療法も確立されました。しかし、国は患者の強制隔離を続けました。

 ハンセン病に関する最初の法律が定められた1907年から「らい予防法」が廃止になった1996年まで、89年にも及んだ隔離政策は、いわれのない差別や偏見を生みました。

 そのため家族との縁を絶たれ、療養所での不自由な生活を強いられていた入所者たち。

 邑久光明園の納骨堂には、故郷に帰れないまま亡くなった3200人以上の遺骨が納められています。

調査報告書「重大な人権侵害だった」

 このような状況にあった入所者の遺体の解剖は、適切に行われていたのかー―。

 人権擁護委員会による調査・検証は約2年かけて行われ、2022年11月、62ページの報告書をまとめました。

(人権擁護委員会 委員長/近藤剛 弁護士)
「入所者は隔離政策のもとで命を療養所医師に委ねざるを得ない状況に置かれ、人生全般を療養所の支配下に置かれていたことから、入所者からの自由な意思に基づく正当な同意を得たとみなすことはできず、光明園で長年にわたって行われた病理解剖や臓器保存は重大な人権侵害であった」

 重大な人権侵害があったとする報告書。結論を裏付ける資料の一つとして、解剖の同意を示す文書の数や内容を記載しています。

 入所者本人が生前に同意したことを示す「剖検願」はわずか7通しか残っておらず、このうち本人の署名があったのは2通でした。

 この他、遺族の同意を示す証明書は、164通見つかりましたが、中には遺族以外の知人や友人らが署名したものもありました。

(人権擁護委員会 委員長/近藤剛 弁護士)
「法律的にいくと本来、遺族でない方が同意・承諾はできないんですね。ということですが、ハンセン病の療養所の場合は後見人とか世話人とかいう方が、家族の代わりということで、家族・故郷から縁が切られた方が中で、そういう家族同様の付き合いをしてきたという方が、代わりに同意するということが行われてきました」

「みじめだった」入所者の証言も…

 また、解剖や臓器の保存に関する入所者6人の証言も掲載されています。

(入所者の証言)
「大学の先生が解剖に来て『入所者の最後の務めだろう』『解剖はせん』と、遺族と大もめになり、結局その時は解剖しなかった。入所者は死んだら解剖というのが強制的に行われていた。反感があって、もっと考えてほしいという思いで(絵を)描いた」

「昭和50年ぐらいまでは、解剖してほしくないと言えない時代だった。死んでまでもこんなふうに切り刻まれるのかと、ハンセン病患者は人間じゃないという気持ちがした。自分がみじめだった」

 中には「当たり前のこと」「抵抗がなかった」との証言もありましたが……。

(国立ハンセン病療養所 邑久光明園入所者自治会/屋猛司 会長)
「断ったら居づらくなる。療養所を出て生活できないんだから。その頃の時代背景を考えるとNOとは言えない」

 委員会では、実際に解剖に立ち会った臨床検査技師にも聞き取りを行いました。

(人権擁護委員会 委員長/近藤剛 弁護士)
「近年までハンセン病の研究のために、全物故者の病理解剖と全臓器の保存を行うことが施設の方針。それが患者のためと考えていたこと、解剖を嫌がる遺族に対して医師が執拗に承諾を迫っていたことなどが証言されています」

 さらに過去の論文などから、治療法が確立された1950年代以降、ハンセン病の病態はほぼ解明されていたとして、多くの遺体を解剖する医学的な根拠は失われていたと指摘しました。

邑久光明園園長「医師の思い上がりとしか…」

(国立ハンセン病療養所 邑久光明園入所者自治会/屋猛司 会長)
「『もの』としか見ていない、研究としての『もの』」

 今回の報告を受け、医師でもある邑久光明園の青木園長は……。

(国立ハンセン病療養所 邑久光明園/青木美憲 園長)
「当時の医師としては、研究をすることによってハンセン病医学が発展して、それが患者さんの役に立つだろうという思いでこういうことを一生懸命やってきたんだろうというふうに思いますが、これは医師の思い上がりとしか言いようがない。今から振り返ってみると全数の解剖をしなくてはいけない、そのような研究は一つもなされていない。そこまでする必要はなかったというのは明らかですし、何よりも研究のために入所者さんの人権を損なっていいのかという考えが本当に薄かった。その中で生活をずっとされてきたということ、そして省みられることのない時間が長く続いたことは、本当に申し訳ないことをしたと思います」

 邑久光明園の入所者は現在61人、平均年齢は88歳を超えています。

過去の過ちを教訓に…さらなる検証を

 過去の過ちを教訓として再発を防止するために、報告書ではさらなる検証が必要であるとしています。

(人権擁護委員会 委員長/近藤剛 弁護士)
「どういうことが行われたのかをきちんと明らかにするということは、犠牲になった人たちの名誉を回復することにもなるし、今残っている遺族の方にとっても非常に重要な意味を持つんですよね。同じことを繰り返してほしくないという」

 歴史を物語る資料や建物をどのように後世へ伝えていくかなど、模索が続いています。

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