夏の高校野球・香川大会の注目校を紹介します。高専高松には、亡くなった父を追いかけて中学から野球を始めた選手がいます。
空に届ける、最後の夏。高専高松3年の、吉田太一。特徴的なアンダースローで主にリリーフとして活躍する選手です。
吉田には、野球を始めるきっかけになった「憧れの人」がいます。
(高専高松/吉田太一 投手[3年])
「自分のお父さんです。すんごく尊敬できる人です。(Q.どんなところが?)判断力にすぐれていたり、あとはどんな時も熱血で」
吉田の父・心平さんはプロ野球選手も輩出した強豪、四国学院大学の野球部で監督を務めました。しかし吉田は小学生の頃、心平さんに誘われても野球をしませんでした。
(高専高松/吉田太一 投手[3年])
「(当時は)空手をやっていました。ちっちゃい頃にお父さんに誘われてキャッチボールとかはやってたんですけど、自分自身、『絶対野球だけはやりたくない』と言ってたらしくて、本能的にやりたくなかった」
空手に打ち込む吉田を心平さんはあたたかく見守ってくれました。
(高専高松/吉田太一 投手[3年])
「お父さんは別に野球を強要させる気もなく『やりたいことをやったらいい』と。お父さんも熱心で、(空手の)いろんな文献をあさってくるとか(していた)」
しかし、吉田が小学4年生のとき。心平さんは脳腫瘍のため40歳の若さで亡くなりました。
(高専高松/吉田太一 投手[3年])
「(当時は)すごく絶望に近い感じでしたね」
母親の愛さんは当時の様子を振り返って。
(母・愛さん)
「(父親が)亡くなったときはすごく泣いていましたね。一番泣いていた。(父・心平さんは)『したい』と言うことをすべて受け止めるような人だった、父親でもあるけれど親友でもあるように見えていた」
早すぎる別れから3年。中学生になった吉田はある決心をします。
(高専高松/吉田太一 投手[3年])
「中学校の方針で『部活に入った方がいい』と推奨されていた。どうせなら野球をしてお父さんと同じようにやってみようと。(始めた当初は)お父さんと同じライトを守っていました」
(母・愛さん)
「びっくりしました。うちの太一は本当に何も知らない状態で(野球部に)入るので、『それでも大丈夫なん?』と聞いたら、『大丈夫』『それでもしたい』と言うのでそれだったら応援しようかなと」
野球を始めたころは、練習についていくのも一苦労。そんな中でも、心平さんの教えが道しるべになりました。
(高専高松/吉田太一 投手[3年])
「『自分がプレーで困ったときはすぐ指導者の人に聞くというのが一番大事だぞ』と教えてもらいました。最後まで試合内容が分からない野球って楽しいなって思うようになってきて。(中学2年で)空手をやめて野球に専念しました」
(高専高松/吉田太一 投手[3年])
「野球楽しいです! 始めて良かったです」
(高専高松/吉澤恒星 監督)
「何事も一生懸命なので手を抜かないので逆にそれがみんなに愛されるというか、若干いじられるところもあるんですけど、すごく好青年ですね、彼はね、笑顔を絶やさないし」
父親への憧れから始めた野球で、新たな仲間と目標を見つけた吉田。最後の夏が、始まります。
(高専高松/吉田太一 投手[3年])
「この夏の大会ではしっかりと次のピッチャーに0点で繋げるピッチングをしたいと思います。(Q.お父さんに伝えたいことは)夏の大会、しっかり見といてくれよということを一番伝えたい」