あの日から15年。原発事故で関東から避難し、岡山県倉敷市で暮らす女性は「避難者」としての苦悩と子どもの自立、親の介護といったライフステージの変化に伴う困難を抱えながら生きています。
倉敷市で避難生活を送っている松本さん(50代・仮名)です。震災が起きた時、松本さんは関東の実家で両親と当時小学生の1人息子と暮らしていました。
震災後、福島第一原発の事故による放射能への不安から息子と2人で岡山に避難しました。避難する際、周囲に避難の理由を話すことができませんでした。
(原発により避難/松本さん[仮名])
「いろいろ調べてここ(実家)は子育てができる場所じゃない、自分も具合悪く、避難元の友達とかに原発避難と言えなかった。自分たちだけ逃げてよかったのか。本当はきちんと伝えないといけなかったんじゃないかと後ろめたさみたいなもの、うちにもそれがあって、それなので特定されないようにお願いしたい」
実際に岡山に避難すると、孤独を感じる日々が続いたそうです。
(原発により避難/松本さん[仮名])
「子どもが帰って来るまで話す人がいない。全く知らない土地だし、自分が生きているのか死んでいるのか分からない。ふるさとを捨ててきてて、私何しに来ているのだと一時期は思った」
その後、息子が県外の大学に進学し、松本さんは一人暮らしになりました。
(原発により避難/松本さん[仮名])
「人との関係性で悩んだときは出ていきたいと思ったことは何度もあったが、私が出ていったら子どもが帰る場所がない。あと意地もある。ここで帰ったら原発認めるみたいで悔しい。一言で言い切れない」
子育てがひと段落したのも束の間。関東の実家に残っていた松本さんの母(80代)がうつ病と認知症に。父だけで面倒をみるのが難しくなり、松本さんは数年前、母を倉敷市に呼んで同居を始めました。
松本さんは昼間、母を施設に預け、外で介護の仕事をしていますが、家で母といる時は片時も目を離すことができないそうです。介護には「避難者」ならではの苦悩があるといいます。
(原発により避難/松本さん[仮名])
「地元ならちょっと頼める人がいる。友達や親戚など。けどこっちに来たらやっぱり頼みにくい。皆それぞれ大変な思いをしていて、プラスアルファで母のことをお願いとは言いにくい部分もある」
2014年から避難者支援を続ける「ほっと岡山」の服部代表理事は、震災の発生から時間が経過し、避難者のライフスタイルが変化する中、寄せられる相談の内容も変わってきたと話します。
(ほっと岡山/服部育代 代表理事)
「(Q.相談割合も変わっている?)変わっていると思う。単身女性が(多い)。前はお子さんをお持ちのお母さんからの相談がものすごく多かった。夫のことや養育費が送られないとか」
ほっと岡山によりますと、2018年には避難先での子育ての悩みなど「母子避難」に関する相談が、相談件数全体の約半数を占めていました。
しかし近年、子どもの独立や夫や両親との死別で一人暮らしになった女性が老後の生活について相談するケースなどが増えているそうです。
(ほっと岡山/服部育代 代表理事)
「よく言われるのが、それは別に避難者に限った問題ではないと。それはそうだが背景が全然違う。いちいち本人は説明したくないが、大変さはいろいろある」
松本さんは、避難者の困難には、経済的なものや周囲の人との関係、将来への不安が重なり、震災から15年経った今も、気持ちの整理がつかないと話します。
(原発により避難/松本さん[仮名])
「15年経ったのに何一つ解決できていない。原発が止まったわけでない。家の問題が片付いたわけでない。福島の人たちを含めて賠償がきちんとあったわけでない。本当に切り捨てられた15年」