広島と長崎に原爆が投下されてから81年目の夏を迎えました。原爆による被害の実相を伝えてきた広島平和記念資料館=通称「原爆資料館」の歩みをたどるドキュメンタリー映画の上映が14日、高松市で始まります。
広島ホームテレビ制作の映画「原爆資料館 語り継ぐものたち」。「原爆資料館」の歴代館長たちが命を削って守り続けてきたことは何なのか? 55年分に及ぶ取材映像などから描くドキュメンタリー映画です。
100時間以上のアーカイブ映像でたどる
映画の最大の特徴は広島ホームテレビ開局以来の「アーカイブ映像」。100時間以上にも及ぶ過去の取材映像をもとに「原爆資料館」の成り立ちやその歩みをたどっています。
(広島ホームテレビ/斉藤俊幸 監督)
「私たち自身もこの映画を作りながら知ることが多く、普段記者をやっているが、知らないことがすごく多かった」
原爆投下の10年後、1955年に開館した資料館。初代館長は地質学を専門としていた学者・長岡省吾さんです。当初の資料館では長岡さんが被爆直後から集め続けた「瓦」などが展示の中心となりました。その後、さまざまなバックグラウンドを持つ館長たちが「資料館」をつないでゆきます。
(8代館長/川本義隆さん)
「私は13歳の時にこの周りにおりました。だいたい爆心地から800mの中学校です」
1983年から8代目の館長となったのが自身も被爆し、一時は生死をさまよった川本義隆さんでした。
(8代館長/川本義隆さん)
「13歳のあの年が、私の2度の人生の始まりであると思いながら、いつも資料館の中を、これだけたくさんの子どもたちに語りかけるのが毎日の仕事なんです。この資料館は本当に人間の叫びだと思います」
マザー・テレサや、旧ソ連のゴルバチョフ元大統領ら熱心に資料館を見学する要人たちの姿が残されていました。
しかし2023年のG7広島サミットでは首脳たちの訪問を前に、資料館が真っ白な目隠しで覆われました。
(9代館長/原田浩さん)
「首脳の思いとか、表情とかまったくあえて見えないようにしていますから、なぜそこまでしなきゃいけないのか。しっかりと受け止めてくださったどうか非常に気がかりな面があります」
知られざる資料館の裏側 スタッフの工夫や苦悩
映画では広島市や資料館の特別協力のもと、普段見ることのできない裏側まで取材。年に1回行われる展示の入れ替えにも密着しました。
(原爆資料館 学芸員/落葉裕信さん)
「展示スペースは限りあるので、その中でいかに来館者に伝えられるかを考えながらやっている。かなり劣化したものもあるので、配置は慎重にするので緊張感がある作業」
入れ替えは、こちらにも緊張感が伝わってくる慎重な作業。展示の裏には資料館スタッフらの工夫や苦悩がありました。
(原爆資料館 学芸員/玉川萌さん)
「お父さんと娘さんのお洋服です。お父さんが先に亡くなって順子さん(娘)が後から亡くなったが遺影も2人が仲良く写っているものがあるので、実際に資料を置く時もなるべくお父さんと娘の距離が近いように展示しました」
(共同通信 編集委員/太田昌克さん)
「遺品の力強さ、あれだけ学芸員のみなさんが本当に丁重に大切に扱って、角度をどうするか、目線の高さをどうするか、それで訴え方が違う。そこまで心血を注いで展示をしている」
東京では満席の回も 香川・岡山で公開へ
7月から上映が始まった東京の映画館では連日多くの人が訪れ、中には満席となる回も出ています。
(映画を見た人)
「原爆資料館の”魂”みたいなところが映画で描かれていて、とてもよかった。特にバックヤードの学芸員の人たちの見えないところの頑張りが出てきたのがとても素晴らしかった」
(映画を見た人)
「それぞれの館長がそれぞれの時代に合わせて考えて、見せ方も変わっていくプロセスが初めてメッセージとともに理解できたので本当によかった」
(共同通信 編集委員/太田昌克さん)
「原爆資料館が目指している『魂の叫びを伝える』コンセプトをまさに体現している映画だと思いました。私たちメディアとして、聞いた者は聞いたなりの責任の重さがあるんです。聞いた者の責任の重さを私は今回、立川監督、斉藤監督が一生懸命に己の責任を全うされようとしたんじゃないか」
映画「原爆資料館 語り継ぐものたち」は高松市のソレイユ・2で14日から8月20日まで上映されます。岡山市のシネマ・クレールでは9月4日に公開予定です。
(広島ホームテレビ/立川直樹 監督)
「70年間、資料館ができてからずっと根底に流れている思いみたいなものを伝えられればと思い、なんとかぎゅっとまとめた」
(広島ホームテレビ/斉藤俊幸 監督)
「広島のローカルメディアだからこそできた映画だと思っているので、今後何年何十年と見ていっていただきたい」
(2026年8月13日放送「News Park KSB」より)